団塊世代の想い出

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出来事

1950年

糸へん・金へん
朝鮮戦争による特需景気で、特に繊維・鉄鋼関係が潤ったので、繊維の糸偏に鉄鋼の金偏で、このように呼ばれた。

貧乏人は麦を食え
池田蔵相が参議院予算委員会での質問に対して「所得の少ない者は麦を多く食う、所得の多い者は米を食うといった経済の原則に沿ったほうへ日本をもっていきたい」と答弁をした。この発言に対し、「貧乏人は麦を食え」という暴言としてマスコミは一斉に批判をした。

つまみ食い
公金を1億円横領して逃亡していた鉱山品貿易公団職員が自首した事により、その事件の記者会見で公団総裁が「あれくらいは女中のつまみ食い程度」と発言した事から「つまみ食い」が流行語となった。

とんでもハップン
そろばんを楽器代わりに使うお笑い芸人のトニー谷が、突如何かが起こった時、英語のネバーハップン(Never happen)をもじって使った言葉が流行語になった。
更に、後には「飛んでも8分、歩いて10分」と洒落た言葉も流行語となった。

アルサロ
アルバイト・サロンの略。専門のホステスを置かず、学生や会社員、主婦などの素人女性をホステスとして採用、大阪・千日前に開店したのが始まりで、その新鮮さが受け日本全国に広まっていった。

1951年

老兵は死なず
米国最高司令官だったマッカーサー元帥が退任後の4月19日、米議会上で演説の一節に「Old soldiers never die; they jusut fade away.」(老兵は死なず、ただ消え去るのみ。)と語った言葉が流行語となった。

社用族
会社のお金を使い個人的に飲食したりタクシー代を接待費や交通費として計上する人を指す。朝日新聞の荒垣秀雄記者がこの言葉を使ったのが最初という説と、1948年に流行った「斜陽族」を捩ったという説もある。

エントツ
タクシー運転手が乗車料金を誤摩化し着服する事で、乗客しながら料金メーターを倒さず走行する事を指す。料金メーターが立ったままだから「煙突」と呼ばれた。

親指族
当時のパチンコは今の仕組みと違い、玉を一発々発込めて親指でレバーを弾いて打っていた事から、パチンコに熱中する人を親指族と呼んだ。

アジャパー
コメディアンの伴淳三郎が映画『吃七捕物帖・一番手柄』に出演した時のセリフ「アジャジャーにしてパーでございます」が観客から笑いを誘い、その後その言葉を縮めて『アジャーパー」と使い始めた事から流行語になった。

1952年

人間機関車
ヘルシンキ・オリンピックの5000m・10000m・マラソンで金メダルを獲得し、長距離三冠の記録を達成したチェコスロバキアのエミール・ザトペック選手が、顔をしかめ喘ぎながら走るスタイルから『人間機関車』と呼ばれた。

プータロー
プータローとは就労の意思はあるが就労できない者や、その日暮らしの日雇い労働者を指す。これには様々な語源があり、建設労働者の事を「風太郎」という事から始まった説や、その日暮らしの風が吹くままに生活する事からとの説もあるが定かではない。

恐妻家
妻に頭の上がらない、妻を恐れる夫の事を差す。恐妻家という表現は、1924年(大正13年)三田村鳶魚著の「春日局の焼餅競争」の中の記述で「二代将軍も随分な恐妻家であります」と既にあり、また1938年に徳川夢声が共済組合のもじりで「恐妻組合」と洒落で言った言葉もあったが、1952年に流行語として評論家・大宅壮一氏が流行らせた言葉である。

言うてみてみ 聞いてみてみ
漫才コンビの中田ダイマル・ラケットが司会する朝日放送ラジオ番組「お笑い街頭録音」で使った言葉が流行語となった。

ヤンキー・ゴーホーム
対日講和条約が発効して日本が独立したが、700カ所を越す米軍施設は安全保障条約に基づいて存続した為、基地反対を唱える集団が「ヤンキー・ゴーホーム」と訴え抗議活動を行なった事により流行語となった。

1953年

街頭テレビ
8月28日に民放初の放送が日本テレビで開始され、テレビ放送を普及させる為の策として街角にテレビを設置した。プロレスブームにより街頭テレビには道路まで人が溢れ社会現象を起こすまでに至った。

クルクルパー
伴淳三郎が漫才の中で使っていた「アジャパー」の「パー」を使い「頭がクルクル・パー」と言った言葉が始まりという説もあるが、中田ラケットやトニー谷も使っていたので誰が最初かは定かでない。

さいざんす・お今晩は
そろばんを楽器代わりに使い人気があったトニー谷が、司会の中で使う独特の言葉が流行語になった。

八頭身
ミス・ユニバースで三位に入賞した伊東絹子さんが、当時としては日本人離れした八頭身のプロポーションだった事から流行語となった。

ジェスチャー
2月20日からNHKで放送されたクイズ番組『ジェスチャー』が大人気となり、この言葉が流行語になった。

1954年

死の灰
第五福竜丸のビキニ沖での被爆により、マスコミは原爆の放射性降下物を「死の灰」と呼んだ。

シャネルの5番
マリリン・モンローが来日の記者会見で「夜は何を着て寝ますか?」との質問に「シャネルの五番よ」と答えたのが流行語になった。

むちゃくちゃでござりまするがな
NHKラジオ第1放送のドラマ「お父さんはお人好し」で、漫才師の花菱アチャコが言ったセリフ『むちゃくちゃでござりまするがな』が流行語になった。

パートタイマー
10月、大阪に本店を持つ大丸百貨店が東京駅ビルに東京店を開店した際、日本で初のパートタイマー制を導入した。これが切っ掛けとなり異業種各社もこの制度を導入するようになった。

1955年

三種の神器
庶民にとっては高嶺の花であり、主婦の憧れだった電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビを指して「三種の神器」と呼んだ。

ロマンス・グレー
経済力も包容力もある魅力的な白髪混じりの男性を指す。前年の1954年、飯沢匡の小説『ロマンス・グレー』で取り上げたのが最初だが、米国映画「旅情」が日本でも8月に公開され、主演したロッサノ・ブラッツィの『ロマンス・グレー』が魅力的で女性の間で話題となり、この言葉が流行語となった。

頼りにしてまっせ
「森繁節」で親しまれた森繁久弥が淡島千景と共演した映画「夫婦善哉」で、アドリブで言ったセリフ『おばはん、頼りにしてまっせ』が流行語になった。

ノイローゼ
以前は「神経衰弱」と言っていた言葉を、週刊朝日が『ノイローゼと現代人』との表題で,ノイローゼは現代人のアクセサリーと書いた事が切っ掛けとなった。著名人の自殺が相次ぎ、またノイローゼに関した本が多数出版された。

エッチ
諸説様々ある中で、いやらしい男を意味する隠語として女子大生の間で使われ、変態のローマ字書き『Hentai』 の「H」が語源とされたようである。

事実は小説より奇なり
4月から放送されたNHKクイズ番組「私の秘密」で司会の高橋圭三が番組冒頭に決まり文句として「『事実は小説より奇なり』と申しまして、世の中には変わった、珍しい、あるいは貴重な体験をお持ちの方がいらしゃるもので」と挨拶した事が流行語となった。

1956年

もはや戦後ではない
7月に発表された経済企画庁・経済白書「日本経済の成長と近代化」の副題は、太平洋戦争後の日本の復興が終了した事を指して「もはや戦後ではない」と記述された事により流行語となった。

一億総白痴化
評論家・大宅壮一氏が「テレビは低俗な番組ばかりで、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう。これでは一億総白痴化だ」と言った言葉が流行語になった。

戦中派
太平洋戦争の間、青春期を過ごした世代(主に1920年代生まれ)を指す。これに対し戦前派、戦後派の言葉もある。

太陽族
石原慎太郎のデビュー作「太陽の季節」が芥川賞を受賞。その小説を映画化した「太陽の季節」に弟の石原裕次郎も俳優デビューを果たし大ヒット。そこに描かれる既成の秩序を無視して、無軌道な行動をする若者達を『太陽族』と呼んだ事から流行語になった。

ドライ・ウェット
ドライは感情的にならず、さばさばした、割り切ったなどの意味で使われ、その反対語をウェット呼び、同年流行った太陽族の無軌道を形容する言葉として使われた。

1957年

なんと申しましょうか
プロ野球中継の解説者、小西得郎氏が実況中継の中で「そりゃーもう、なんと申しましょうか」と言う言葉が常に使われており、それが流行語となった。

デラックス
明治製菓が従来よりも板チョコを厚くして『明治チョコレート・デラックス』を発売、ヒット商品になった。それ以降、他業種でも贅沢感のある上級グレードに『デラックス』を付けて発売するようになっていった。

シスター・ボーイ
言葉使いや仕草などが女っぽい男性の事(ニューハーフとは異なる)を指す。美輪明宏(当時芸名:丸山明宏)が歌った『メケ・メケ』が大ヒットし、マスコミが「シスターボーイ」と名付けた事から流行語になった。

有楽町で逢いましょう
そごう東京店が開店前の4月、"そごう" 提供による歌番組「有楽町で逢いましょう」が放送開始され、有楽町は一躍有名な街となり、またキャンペーンソングとして作成された「有楽町で逢いましょう」も大ヒットした事から、この言葉が流行語となった。

グラマー
この年、マリリン・モンローなどの外国映画や外国番組のテレビがブームとなり、グラマー(Glamour)と言う言葉が広く一般に普及するようになった事から流行語となった。

1958年

ご清潔でご誠実
宮内庁で行われた11月27日の婚約記者会見で美智子さまが「とてもご清潔でご誠実なご立派な方で心からご信頼申し上げ」と皇太子殿下の印象を述べた発言。

神様、仏様、稲尾様
日本シリーズは、西鉄(現・西武)対 巨人の戦いになった。3連敗し絶体絶命の西鉄は、これまでこのシリーズで2敗している稲尾和久投手を敢えて先発起用、完投で初勝利した。その後の試合も稲尾投手を続投させ全て勝利。西鉄は逆転4連勝で日本シリーズを手中にした。この優勝を祝い、地元新聞には「神様、仏様、稲尾様」のフレーズで稲尾投手を讃えた。

ながら族
ラジオや音楽を聴きながら勉強するというような、何かをしながら他の事をする人を、日本医科大学教授が「ながら神経症」と名付けた事から生まれた言葉。

団地族
当時、郊外に鉄筋コンクリート造のモダンな集合住宅が次々と建てられた。都会から移り住んだ中堅庶民層を「週刊朝日」7月20日号で『ダンチ族』と記事にした事が始まりとされている。

イカす
以前から魅力的や格好良いという意味で使われていたが、石原裕次郎が映画の中で言ったセリフが広く伝わり流行語になった。

1959年

岩戸景気
神武景気、いざなぎ景気と並び、戦後高度成長時代の好景気の一つ。神武景気を上回る好景気から、神武天皇よりさらに遡って「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」として名付けられた。

トランジスタ・グラマー
背が高く八頭身がグラマーだといわれた時代に、小さくても高機能なトランジスタ・ラジオのように、小柄でも均整の取れた体つきの女性でもグラマーであると週刊誌が報じた事から流行語になった。

カミナリ族
現在の暴走族の前身で、マフラーの芯を抜く改造をしたオートバイで公道を走り回り、その爆音が雷のようだという事から名付けられた。
現代の『暴走族』と唯一違う点は、当時、高価だったオートバイを持てるのは比較的裕福な家庭の子が多く、暴走族のような暴力性は無かった。

タフガイ
タフガイ:tough guy(不屈な奴、たくましい奴)日活が看板俳優である石原裕次郎に付けたキャッチフレーズ。

サッチョン族
この年、北海道・札幌へ進出する大企業が増え、転勤で単身赴任する者が多くいた。札幌(サッポロ)に単身(独身:チョンガー)で行く事から生まれた言葉である。

姓はオロナイン、名は軟膏
1959年9月から読売テレビ系で放送された公開生放送番組『とんま天狗」の主題歌の中で大村崑が歌うフレーズ「姓はオロナイン、名は軟膏」が受けて子供達が口ずさんでいた。(番組スポンサー:大塚製薬 オロナイン軟膏)

1960年

私は嘘は申しません
1960年11月の「第29回衆議院議員総選挙」を控え、自民党用テレビ演説において池田勇人首相が「私は嘘は申しません」と発言した言葉が流行語になった。

所得倍増
池田内閣の閣議で、10年間で国民所得を倍増するという「国民所得倍増計画」を政策決定した事により流行語となった。

家つき・カーつき・ババァ抜き
結婚相手の条件として、住む家が有り車も所有しているお金持ちと結婚したい。但し、姑となる母親とは一緒に住みたくないという我が侭?な女性(というより理想である)の願望が流行語となった。

1961年

巨人・大鵬・卵焼き
野球は巨人軍の黄金時代であり、そのヒーローは長嶋茂雄であったが、大相撲でも横綱・大鵬の活躍は子供達に大人気であり「巨人・大鵬・卵焼き」は当時の子供達の好きな物として流行語になっていた。
※また「堺屋太一」氏が言った言葉で、大の大人が子供じみて大騒ぎしている姿を皮肉り「半人前で子供っぽく使えない大人」を指した言葉という説もある。

地球は青かった
ソ連の有人宇宙船が地球一周に成功した時に発したガガーリン少佐の言葉。

わかっちゃいるけどやめられない
植木等が歌った「スーダラ節」(1961年8月発売)が大ヒットし、その歌詞の中にある言葉が流行語になった。

お呼びでない…これまた失礼致しました
6月から放送開始された日本TV「シャボン玉ホリデー」の中で、ザ・ピーナッツやハナ肇との会話の中に割り込み使われた言葉が流行語となった。

1962年

孤独との戦いだった
太平洋横断に成功した堀江謙一氏がサンフランシスコに到着時、「孤独との戦いだった」と語った言葉が流行語になった。

俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!
「てなもんや三度笠」での藤田まことのフレーズが子供たちの間で流行した。(番組スポンサー:前田製菓/商品:前田のクラッカー)

ひっじょ~にキビシ~ッ!!/許して…チョーダイ!!
共に「てなもんや三度笠」での財津一郎による名台詞。

いっぱいやっか
清酒 神聖のテレビCMで、喜劇俳優の伴淳三郎が「かあちゃん、いっぱいやっか」というフレーズが受け「清酒 神聖」のCMが脚光を浴び、この言葉が流行語になった。

1963年

ガチョーン
この年の4月3日から日本テレビで放送された音楽バラエティ番組「素敵なデイト」の中で谷啓が突然発したセリフ(セリフに詰まった時などに使うらしい)「ガチョーン」が流行語となった。

カワイコちゃん
この年の4月16日から日本テレビで始まったドラマ「男嫌い」の中で、横山道代が発したセリフ。年下のかわいい男性を指す言葉「カワイコちゃん」が流行語となった。

OL(オフィス・レディ)
女性社員をB G(Business girl)と呼んでいたが、これは和製英語であり、外国では売春婦を指す言葉という事から、NHKではオリンピック控えた9月から放送禁止用語とした。代わりの言葉を女性誌「女性自身」が公募し、一位となった OL(Office Lady)がそれ以降使われるようになった。

三ちゃん農業
父ちゃんが出稼ぎでいない為、残った「じいちゃん」「ばあちゃん」「かあちゃん」が農業をする事から使われるようになった言葉。

1964年

おれについてこい・なせば成る
ニチボー貝塚・女子バレーボール部の大松博文監督は、鬼の大松と呼ばれ、徹底したスパルタ教育で選手達を鍛えた。東京オリンピックでは強豪のソ連チームを3対0で破り悲願の金メダルを獲得する。選手達に常々言っていた言葉『おれについてこい』『なせば成る』が流行語になった。

カギッ子
高度成長時代、核家族化や共働きの家庭が増加し、子供が学校から帰宅する時に留守の家庭が多くなっていった。そのため、自ら鍵を持つ事から『カギッ子』と呼ばれた。この現象は都市部に多く見られ、生活向上の為に働く女性が増えた事が主たる要因だ。

シェー
週刊少年サンデーで連載した赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に登場する男性 "イヤミ" が手足を曲げながら『シェー』とと叫ぶギャグが受けて流行語となった。

1965年

やったるで
プロ野球の金田正一投手の著書『やったるで!』がベストセラーになり流行語となった。金田正一投手は国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)時代の1958年4月5日、開幕戦では大物ルーキー長嶋茂雄(読売ジャイアンツ)から4打席連続三振を奪い、プロの凄さを見せつけた。1950年、国鉄スワローズ入団。1965年に読売ジャイアンツに移籍した。現役時代は左腕投手として活躍し、日本プロ野球最多となる通算400勝を記録。この記録は未だ破られていない。引退後はロッテオリオンズの監督や日本プロ野球名球会初代会長を務めた。

スモッグ
スモッグは元々ロンドンで古くから使われていた言葉で、日本でも初めてスモッグ警報が出た事により、この言葉が一般に広く知れ渡っていった。
※スモッグ(smog)とは、smoke(煙)とfog(霧)の混成語。石炭・石油の大量消費によって、大都会や工場地などで生じる大気汚染の事を指す。また光化学スモッグは、工場や自動車の排気ガスなどの有害物資に日光に含まれる紫外線の影響で光化学反応を起こし生じる大気汚染の事を指す。

フィーリング
感覚や感じ、また直感的にとらえられた気分という意味でつかわれる言葉だが、この年、若者たちの間で流行した。

1966年

しあわせだなぁ
前年の1965年12月に発売された加山雄三が歌う「君といつまでも」が300万超の大ヒットになり、歌詞の中で「幸せだなぁ、ボクは君といる時が一番幸せなんだ」のセリフがあり、流行語になった。

新・三種の神器
カラーテレビ(Color television)・クーラー(Cooler)・自動車(Car)を指し、当時は憧れの贅沢品だった。また頭文字が総てCであることから、3Cとも呼ばれた。※三種の神器:白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫(1950年代後半)

びっくりしたなぁ〜もう
漫才のてんぷくトリオのリーダーである三波伸介がギャグで言った言葉がうけて流行語になった。

1967年

アングラ
アンダーグランド(underground)の略語。日本では、反体制運動や前衛演劇・前衛美術を指す。
『アングラ喫茶』『アングラ劇場』などができ、中でも寺山修司氏が主宰する演劇グループ『天井桟敷 』は小劇場ブームを巻き起こした。また、浅川マキを代表するアングラ歌手もブームとなった。

核家族
家族の基礎的な単位 "nuclear family" の和訳である。日本では、高度経済成長期に親元を離れ、都市部で働き始め結婚、そして家庭を築いた為に起きた現象である。

ボイン
日本テレビ「11PM」の司会者 大橋巨泉が、胸が大きかった朝丘雪路に対して「ボイン」と、からかった事が始まりで流行語となった。

1968年

五月病
大学を卒業し期待を持ち4月に入社したものの、新しい環境に適応出来ず悩み、5月のゴールデンウィーク明け頃から不安や憂鬱症状を起こす事から「五月病」と名称付けられた。

サイケ
サイケは、サイケデリックの略語。1966年頃から米国で、LSDなどの幻覚剤によって得られる幻覚や心理的感覚により、音楽やファッションで新たな表現を生み出すサイケデリックムーブメントが流行り、それが英国に伝わり瞬く間に世界中に広まっていった。日本でも音楽ジャンル、アートやデザインなど芸術の世界で流行した。日本ではLSDは違法な為、実際は幻覚剤を服用せず、その気分になって制作するデザイナーも多く存在した。例:サイケ・デザイン/サイケ・ファッション/サイケ・ミュージック/サイケ・ロック 等々

ズッコケル
ザ・ドリフターズがレコード・リリースした「ズッコケちゃん」(B面「いい湯だな」)がヒット。曲の中に出て来る "ズッコケル" は、失敗した時やバツの悪い時などに使われ、この言葉が流行した。

ハレンチ
「破廉恥:恥知らず」の意味だが、この「ハレンチ」は、ちょっと奇抜だけどカッコイイの意味で使われた。
永井豪によるギャグ漫画『ハレンチ学園』が週刊少年ジャンプで連載、人気漫画となった事から流行語になった。

1969年

あっと驚くタメゴロー
この年の10月7日から放送された日本テレビ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』の生番組で、突然登場するヒッピー姿のハナ肇がギャグとして発した言葉。
「アッと驚くタメゴロー」自体は、元々ハナ肇が昔から麻雀で振り込んだりした際に使っていた言葉だという。

やったぜ、ベイビー
大橋巨泉が、テレビの司会を務めた際に発した言葉なのか、加藤茶(ドリフターズ)がコントの中で使った言葉が先なのか、定かではないが、何かに成功した際に発する言葉として流行語となった。

Oh! モーレツ(丸善石油CM・小川ローザ)
丸善石油(現・コスモ石油)のハイオクタン・ガソリンのCMの中、猛スピードで走る自動車が巻き起こした風でミニスカートが捲り上がり、小川ローザが思わず「Oh! モウレツ」と発した言葉が流行語となった。

1970年

ウーマン・リブ
ウーマン・リブ(Women's Liberation)とは女性解放運動の事をいう。1960年後半から米国で起こり、その後、世界に広がっていった。日本でも、この年の11月14日に『第一回ウーマンリブ大会』が東京都渋谷区で開催され、女子差別撤廃を訴え、後の男女雇用機会均等法の制定に大きな影響を与えた。

しらける
学生運動が沈静化し、デモに参加しシュプレヒコールをあげる事に熱中してきた若者が、無気力、無関心となり「しらける」という流行語が生まれた。この世代を『しらけ世代』とも呼ぶ。

鼻血ブー
谷岡ヤスジのギャグ漫画『ヤスジのメッタメタガキ道講座』が、週刊少年マガジンで連載され大ブレーク。作品の中で使われた「鼻血ブー」が流行語となった。

1971年

脱サラ
サラリーマンを辞めて自立し、起業する事を指す。この年、多くの『脱サラ入門書』が出版されブームとなった。

ダメおやじ
『週刊少年サンデー』で連載されていた古谷三敏のギャグ漫画『ダメおやじ』がブレークし、流行語となった。

アンノン族
女性誌『an・an』(アンアン)や、『non-no』(ノンノ)は、ファッション雑誌ではあるが、この年、旅行特集に力を入れ掲載された。それにより特集を組んだ観光地には、この雑誌をガイドブック代わりに持ち、一人で旅行する若い女性が増えていった。その状況をマスコミが、アンノン族と呼んだ事から流行語となった。

ハヤシもあるでョ~
オリエンタルの「スナックカレー」のCMの中で、名古屋弁を使い「ハヤシもあるでョ~」と言った喜劇俳優の南利明のキャラが受け、流行語となった。

ヘン シ〜ン
元々、漫画だった「仮面ライダー」が、4月3日からTBS系列のテレビで放送開始になった。その時の状況、人間から仮面ライダーに変身する際、手の動作や言葉『ヘンシーン』が子供達の間で真似をされ、流行した。

1972年

恥ずかしながら帰って参りました
元日本兵・横井庄一氏が、グアムから帰還した際、羽田空港で発した第一声が流行語となった。

お客様は神様です
三波春夫が、常々ステージで『お客様は神様です』と言ているフレーズを、お笑いグループ「レツゴー三匹」がコントの中で、ものまねとして取り上げた事から、流行語となった。

あっしには関わりのねぇこって
この年の1月1日から、フジテレビ系列 時代劇「木枯し紋次郎」が放送され、劇中で紋次郎が口にする「あっしには関わりのねぇこって」が流行語となった。

仕掛人
この年の9月2日から、TBS系列 時代劇「必殺仕掛人」が放送されブームになった事から、流行語となった。

1973年

せまい日本、そんなに急いでどこへ行く
全国交通安全運動の標語募集で総理大臣賞を受賞した「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」が、交通事故防止のスローガンとして採用された。

うちのカミさんがね
NHKで放送されているドラマ『刑事コロンボ』(日本語振替版)のセリフが流行語になった。

省エネ
ドルショック以降、省エネ(省エネルギー)対策として、銀座からネオンが消え、野球はナイターを自粛、深夜TV放送の中止など、自粛ムードが高まっていった。

3分間待つのだぞ
レトルト食品『ボンカレー』のテレビCMで、落語家の笑福亭仁鶴が言ったセリフが流行語になった。

ちょっとだけヨ〜、あんたも好きねェ〜
ザ・ドリフターズの人気バラエティ番組『8時だョ!全員集合』のコント中、伴奏曲「タブー」がかかり、加藤茶がストリップ姿を装い言ったセルフが大ウケし、流行語になった。

1974年

巨人軍は永久に不滅です
長嶋茂雄の引退セレモニーで発した言葉「わが巨人軍は永久に不滅です」が流行語になった。

英語でやってごらんよ
松下電器産業(現・パナソニック)のテレビCM「クイントリックス」で、坊屋三郎と外国人との発音の掛け合いセリフ『あんた外人だろ?発音悪いね、英語でやってごらんよ』が評判となり、流行語となった。

狂乱物価
オイルショックによって物価が急上昇。この物価の異常な高騰を、当時の大蔵大臣・福田赳夫が発した言葉。

ストリーキング
ストリーキング(streaking)とは、公共の場を全裸で走り抜ける行為(露出狂では無い)で、世界中に流行し、日本でも3月11日に沖縄県那覇市のキャンプ・フォスター内のハイスクールの校内で行なわれた。一般公衆の面前では、翌12日に広島市の繁華街で行なわれたのが第1号になる。その後、各地に飛び火し、ストリーキングはエスカレートしていった。

1975年

ちかれたびー
中外製薬『新グロモント』のテレビCMの中でのセリフ「チカレタビー(秋田県鹿角市地域の方言)」が流行語となった。

おじゃま虫
仲の良いカップルの中に割り込んだり、場違いな場所にいる人を差し、この年の流行語になった。

乱塾時代
毎日新聞の連載記事「子供の森」から生まれた言葉。学習塾ブームになり、塾が乱立してこの言葉が流行語となった。

ドッチラケ
フジTVの視聴者参加番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」で司会の萩本欽一が視聴者から送られてくるギャグを読み、面白い順に「ばかウケ」「ややウケ」「ドッチラケ」の三段階にランク付けをした事から流行語になった。

あんた、あの娘のなんなのさ
この年、ロックバンド「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』がヒットし、歌詞の中のセリフ「あんた、あの娘のなんなのさ」が流行語になった。

1976年

黒いピーナッツ
ロッキード事件で用いられた賄賂額の符丁。1ピーナッツが100万円相当だった。

記憶にございません
ロッキード疑惑を追及する衆議院予算委員会で、証人喚問に応じた国際興業の小佐野賢治が偽証罪を逃れる為「記憶にございません」を連発、流行語となった。

灰色高官
ロッキード事件で疑惑の掛かった高官ではあるが、限りなく黒に近いが確たる証拠に乏しく起訴されなかった事により、白でも黒でもない灰色だという事から灰色高官と呼ばれた。

わかるかなぁ〜、わかんねぇだろうなぁ〜
『夕焼け小焼け』の替え歌漫談でブレイクした漫談家「松鶴家千とせ」が言ったギャグ「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ~」が流行語となった。

どっちが得かよ~く考えてみよう
サクラカラーから24枚撮りカラーフィルムが発売されたが、ライバル社の富士フイルム20枚撮りと同価格で発売した為、テレビCMで萩本欽一が『どっちが得かよ~く考えてみよう』と皮肉って言ったセリフがウケて流行語となった。

1977年

普通の女の子に戻たい
日比谷野外音楽堂で催されたキャンディーズ・コンサートのエンディングで、突然の解散宣言。ランちゃんが泣き叫びながら「普通の女の子に戻りたい!」と発言。この言葉が流行語となった。

祟り(たたり)じゃ〜っ!
横溝正史の長編推理小説『八つ墓村』が映画化され、10月29日、松竹より公開された。
この映画のキャッチコピーに使用された濃茶の尼のセリフ「祟りじゃ~っ!」が流行語になった。

天は我々を見放した
6月4日封切りの東宝映画『八甲田山』の中で、北大路欣也のセリフ「天は我々を見放した」が流行語になった。

話しがピーマン
野菜のピーマンのように、話しの内容に中身の無い事を指す。

1978年

フィーバー
ジョン・トラボルタ演ずる米国映画『 サタデー・ナイト・フィーバー』が日本でも7月に公開され大ヒット。そのタイトルから流行語になった。※フィーバー(fever):熱狂という意味

窓際族
1977年6月11日の北海道新聞・朝刊家庭面のコラムで「OLたちがうわさ話として使った『窓ぎわおじさん』」が掲載され、それが発端となり徐々に全国に広まって行った。肩書きのある社員だが出世に乗り遅れ然れどクビにも出来ず、仕事を与えられる事なく一日中窓際にいる中高年の社員を『窓際族』と呼ぶようになった。

アーウー
大平正芳首相が国会の答弁や記者の質問等に「あー」「うー」と前置きしてから答弁するので、それが流行語になった。

ダサい
古臭い、野暮ったい、かっこ悪いといった意味で使われた。

むずい
難しいの略語で主に若者の間で使われた。

1979年

ウサギ小屋
EC事務局の報告書「対日経済戦略報告書」に書かれた「日本は、ウサギ小屋としか思えないところに住む仕事中毒者の国だ」が語源。

エガワる
『空白の1日』を使って巨人軍に入団した江川卓を皮肉った言葉で、周りを気にせず我が侭に自分の意見を押し通す事から、『エガワる』が流行語になった。

天中殺
占い師、和泉宗章の著書『算命占星学入門』及び『天中殺入門』が300万部以上を売り上げ、ベストセラーになった事により、日本テレビ『11PM』にも出演した。同番組で、読売ジャイアンツの長嶋茂雄監督は日本一になれないと発言。結果が当たり大反響を巻き起こした。更にこの出来事を週刊誌各社が取り上げ、「天中殺」は流行語となった。その後、「長嶋監督が1980年2月までに辞任する」とした占いは外れ、和泉宗章は「天中殺はない。騙して申し訳ない」と謝罪をし、天中殺ブームは消滅していった。

ナウい
若者の間で流行り「今風の」を意味する言葉。英語の「now」から発生、流行語になった。

夕暮れ族
吉行淳之介の小説『夕暮れまで』は、50前後の中年男性と20代前半の若い女性が不倫関係に陥るが、夜には妻の元に帰るといったストーリー。この設定が話題になり「夕暮れ族」という流行語を生んだ。