団塊世代の想い出

アイビー・ルック

アイビー・ルックの由来

アイビー・ルックの始まりは、1954年、米国のハーバード大学・イェール大学・プリンストン大学・コロンビア大学・ペンシルバニア大学・ブラウン大学・ダートマス大学・コーネル大学の8校によりフットボール連盟が結成された。各校にはレンガ造りの校舎に生い茂る蔦(アイビー)がシンボルとなっていた事から、アイビーリーグとネーミングされた。その彼等が好んで着ていたフアッションを、1955年に国際衣服デザイナー協会がアイビー・ルックと名付けたのが始まりであると言われている。
また、IVYの語源は別の諸説もあり、INTER-VARSITY(大学間の)から「I-V-Y」と呼び合っていた事から名付けられたという説もある。

日本でのアイビーブーム
平凡パンチ平凡パンチ創刊号1960年代に入ると、東京・銀座のみゆき通りに集まっていた若者達を「みゆき族」と称し、彼等の間ではアイビールックを好んで着ていた。(実際は崩して着こなしていた為、厳密にはアイビールックと呼べない)
1964年4月28日創刊の「平凡パンチ」が、その特集を組んだのが日本でのブームの由来とも言われている。

ボタンダウンのシャツに三つボタンのジャケット、細身のコットンパンツ、スリッポンシューズを履き、VANやJUNのロゴ入り紙袋を脇に抱えるのが定番だ。特に「VAN」ブランドに身を固めたお洒落なファッションは一つのステータスでもあった。「JUN」「Jプレス」等のブランドにも人気があったが、一歩リードしていたのは、やはり「VAN」ブランドであろう。
Regal ローファーまた靴は「REGAL」のコインローファーが憧れの的ではあったが、値段もかなり高く、とてもとても手の届くしろものでは無かった。(普通の牛靴でも高価だったが、当時中〜高校生だった私は、唯一踵部分に『JUN』のロゴが入った布製のスニーカーで我慢していた。)
また、VANショップに展示されていた『VAN REGAL』は憧れの的であり、『いつかはクラウン』ならず、『いつかはVAN REGAL』の高校生にとっては夢のシューズでもあった。


そして、髪にもこだわりがあった。基本ベースは73分け。そしてモミアゲはカットする。当時ヒッピーブームで長髪が流行った時代だが、爽やかに克つ清潔なヘアースタイルこそがアイビーの特徴だ。
また、整髪料として資生堂の『MG5・リキッド』を使った。黒と銀のギンガムチェックの斬新なパッケージはまさしくアイビーファッションにベストマッチしていたと思う。
(間違っても親父の使っていた、ベタベタのポマードは使ってはいけませぬ!笑)


IVYルックの粋なG.Sたちザ・フィンガーズ ザ・フィンガーズ
当時アイビールックで一番印象に残っている芸能人と言えば、何と言っても慶応ボーイの若大将 加山雄三だ。また、当時社会現象まで巻き起したグループサウンズのメンバーは、殆ど長髪であり、エレキバンド=不良、不良=長髪、という大人の偏見で身勝手な図式の中、それでもヴィレッジシンガースやパープル・シャドウズなど、爽やかなアイビールックのグループも存在していた。
ザ・ランチャーズ ザ・ランチャーズ数あるグループサウンズの中でメジャーなヴィレッジシンガースやパープル・シャドウズよりも、最も正統派なアイビールックのグループは、ザ・フィンガーズとザ・ランチャーズではなかろうか?と私は思う。頑なにそのスタイルを維持していた彼らは、共に大学生。故に爽やかに克つ清潔なスタイルを保っていたのでは、と思われる。

IVYルックのイカしたグループサウンズ
LinkIconザ・フィンガーズ/ザ・ランチャーズ/ザ・サベージ/パープル・シャドウズ/ヴィレッジ・シンガーズ/ザ・ワイルドワンズ/ザ・テリーズ/アウト・キャスト/ブルー・コメッツ など

みゆき族
東京・銀座のみゆき通りに集まっていた若者達をマスコミが社会現象として取り上げ「みゆき族」と称した事から一躍世間に知られる存在となった。彼らはアイビールックを崩して着こなし、ただただ何をする訳でもなく、みゆき通りにたむろしているだけだった。これに対し地元商店街からの苦情や東京五輪を控え、風紀上の問題点もあり、1964年9月に入り築地警察署によって一斉補導した為、みゆき族は終息していった。

※男性:" VAN " や " JUN " のファッションを好み小脇に" VAN " か " JUN " のロゴ入り紙袋、或は麻袋(コーヒー豆の麻袋:通称、フーテン・バッグと呼ばれていた)を抱えていた。
※女性:ブラウスにロングスカートをリボンで後ろ結び、ローシューズを履き、スカーフや首にネッカチーフを巻くのが主流だった。小脇には男性同様に紙袋か麻袋を抱える。

2012年、なっ、なんと!? あの『VAN REGAL』 復刻版が発売された!

VAN REGALは、1963年、VANジャケットと日本製靴 (現:リーガルコーポレーション)とのコラボにより、銀座『テイジン・メンズショップ』にて発売が開始された。
そして翌年の1964年秋には、全国のVANショップでも発売がされるようになった。
(この時、初めて『VAN REGAL』のロゴマークを使用。)
アイビーファンに愛され、そして憧れのシューズとして君臨し、圧倒的な支持を得たシューズである。
残念ながら、1978年にVANジャケットの倒産と共に製造販売が中止されてしまったが、あの『VAN REGAL』が、30余年の時を経て、2011年11月に甦る。勿論限定販売ではあるが当時を彷彿とさせるデザインだ。
そして2012年1月31日には、REGAL SHOESにて発売を開始した。
ローファー(¥29,400)プレーントゥ(¥33,600)ウィングチップ(¥33,600)の3種類だ。
 (さすがにブランドシューズだけの事はあり、値段も高級である)

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『VAN REGAL』 復刻版ラインナップ
van_regal.png van_regal_01.jpgVAN REGAL ローファー van_regal_03.jpgVAN REGAL プレーントゥ van_regal_02.jpgVAN REGAL ウィングチップ
リーガルショップ
LinkIconリーガル ショップ 公式サイト

トラディショナル・スタイル Traditional Style

伝統的なスタイルの呼称で、流行に左右されずに受け継がれてきたファッションであり、米国でのアメリカン・トラディショナル、英国でのブリティッシュ・トラディショナルがあるが、両国ともに上流階級の身だしなみという認識で広く愛されてきた。これらを日本では「トラッド」と略して呼ばれている。

1970年代のカレッジ・ファッション
ラコステ1970年代、トラッドは日本の学生の間で様々にアレンジされ、そしてニュートラやハマトラが生まれていった。何れもアイビールックが原点だと私は思う。私の通っていたキャンパスでもトラッドが主流(というよりアイビールックからの流れ)で、ポロシャツに綿パンのスタイルを着用する学生が多く見られた。特に人気の高かったメーカーはラコステ(フランス)のポロシャツ。元々テニスウェアであったが、これを着用することは一つのステータスでもあった。

ニュートラ(New Traditional)
1970年代に、神戸のアパレルメーカーが製造したファッションを地元のお嬢様(主に女子大生)の間で流行したファッションの事で、それを女性ファッション誌「an an」が特集を組み掲載、紙面でニュートラと総称した事が始まり。同じく女性ファッション誌の「Can Cam」や「J J」も特集を組んだ事から一大ブームとなった。
基本的にはカジュアルなトラディショナル・スタイルではあるが、エルメスやグッチなどの高級ブランド品を身に付ける事が多かった。

ハマトラハマトラ( 横浜トラディショナル)
神戸のニュートラに対抗する意味合いも含めて、女性ファッション誌「J J」が1975年後半頃から企画したファッションで、横浜のお嬢様大学「フェリス女学院大学」に通学するイメージを想定して、地元の元町商店街で扱っている商品を組み合わせて特集を組んだ事が始まり。これが1979年頃から大ブームとなったが以外と終息は早く1980年後半頃にはブームも去っていった。
基本ベースはポロシャツにベストやカーディガン、タータンチェックのミニスカート、そしてハイソックスにパンプスであり、フクゾーの洋服、ミハマの靴、キタムラのバッグのアイテムは絶対条件であった。また、一部ではキタムラのバッグの代わりに、高級ブランドであるクレージュのショルダーバッグを愛用する者も多くいた。

VAN

VANVANVANレナウンに勤務していた石津謙介氏が1961年創業。
アイビーブームの火付け役であり、石津謙介氏が設立した「ヴァンジャケット」の功績が一番と言っても過言では無い。
1978年に倒産してしまったが、社員OB達の尽力により1980年に再建し伝統は受け継がれていった。
そして現在でも、アイビースタイルの基本となった正統派トラディショナルを頑なに受け継ぎ営業している。

VANオフィシャルサイト
LinkIconVAN JACKET INC.のHPはこちら

JUN

JUNJUN1958年「JUN」は設立され、先駆者「VAN」と共に時代をリードしていった。
1960年後半に入ると、JUNはアイビースタイルからヨーロピアンスタイルへとそのスタイルを以降していった。JUNをこよなく愛していた私にとっては、大変惜しまれる悲しい想い出の一つである。

JUNオフィシャルサイト
LinkIconJUNのHPはこちら

J.プレス(J. PRESS)

J.PREESJ.PREES1902年、米国・コネチカット州ニューヘイブンでジャコビ・プレス(Jacobi Press)によって創業された。多くのアイビー・リーガーに支持されていたが、1974年からはオンワードホールディングス(オンワード樫山)の子会社となっている。

Jプレスオフィシャルサイト
LinkIconJプレスのHPはこちら

IVYを今でもこよなく愛するサイト


アイビー不良中年集まれ!ボタンダウンクラブLinkIconオフィシャルサイトはこちら

石津謙介大百科LinkIconオフィシャルサイトはこちら