主な出来事
三菱銀行猟銃人質事件1979年1月26日午後2時半頃、三菱銀行北畠支店(大阪市住吉区)に猟銃を持ったチロルハットにサングラスの男が押し入り、猟銃を天井に向けて発射、抵抗する男性行員を射殺し5000万円を要求する強盗殺人事件が発生した。
その後、緊急通報で駆けつけた警察官2人と支店長を射殺、4人もの犠牲者を出すという過去に例のない凶悪事件に発展してしまった。
大阪府警は全署に緊急配備指令発令、100台以上のパトカー、600人を超える警察官及び機動隊が銀行を包囲する中、犯人(梅川昭美 30歳)は、37人の人質を盾に篭城、散弾銃を武器に暴虐の限りを尽くしていた。
28日午前8時41分、事件発生から42時間後、大阪府警は機動隊員を突入させ機動隊の特殊部隊が梅川昭美を狙撃、事件は終結した。
梅川昭美は大阪警察病院に搬送、同日午後5時43分に死亡が確認された。
初代「ウォークマン」発売1979年7月1日、ソニーが携帯型ヘッドホンステレオ「ウォークマン・TPS-L2」(価格:3万3000円)を発売した。
88x133.5x29mmの寸法で重さは390g、単三乾電池を2本使用しヘッドホンでステレオが聴けるタイプだった。場所を選ばずに持ち運びも楽で、簡単に音楽が聴けるという当時としては画期的な商品だった。また、ヘッドホンが2個接続でき、2人で同時に音楽を聴く事もできた。更に「ホットライン」と名付けられたボタンがあり、お互いにヘッドホンを外さなくても会話ができた。このウォークマンは、従来から有ったポータブルモノラルテープレコーダーの「プレスマン」から録音機能を省き、ステレオ再生用ヘッドに置き換えて誕生したものだった。瞬く間に、当時の若者たちの間で話題となり、供給が需要に追い付かない状態が続いたという。以来、ウォークマンは世界的な大ヒット商品としてポータブルオーディオの代名詞となっていった。
東名高速日本坂トンネル事故1979年7月11日18時40分頃、東名高速道路下り車線「日本坂トンネル」内で乗用車2台と油脂を積んだトラック4台が絡む追突事故が起きた。トンネル内で火災が起き、スプリンクラーは作動したものの、火災の勢いが勝り鎮火には至らなかった。多数の消防車が放水をしたが、3日間の間、トンネル内の車両が爆発炎上を繰り返していた。
鎮火後、トンネル内のコンクリートは崩れ鉄骨が湾曲し、火災事故の恐ろしさを物語っていた。7月18日、上り線を利用した対面通行で仮開通したが、完全復旧まで60日間もの日時を費やし、9月9日、やっと全線復旧した。
この事故での犠牲者は、死者7人、負傷者3人、焼失車両173台という日本の道路トンネルにおける火災として史上最大規模の事故となった。
そして、この事故を教訓にトンネル内での防災設備の重要性が再認識された。その後、日本坂トンネルの入り口には事故に備え信号機が設置された。
世界初『東京国際女子マラソン』が開催世界で初めて国際陸上競技連盟が公認する女子マラソンが、日本で開催された。
1979年11月18日、小雨の中、9カ国18人の外国人選手と日本人選手32人がエントリーし国立競技場をスタートした。
コースは国立競技場をスタートした後、東京ドーム、東京タワー、皇居、東京駅、増上寺、品川駅、大井競馬場、平和島競艇場を通過し、大森海岸交番前を折り返す42.195km。
当時、日本陸連にはマラソン女子の登録選手が1人もおらず、関係者は日本人選手を集めるのに苦労したという。
トップで戻ってきたのは、英国の2児を持つママさんランナー、ジョイス・スミス選手(42歳)、2時間37分48秒のタイムで優勝した。
日本人選手の中では、同じく3児のママさんランナーである村本みのる選手が、2時間48分52秒のタイム(当時、日本最高記録)で 7位と健闘した。
その後、女子マラソンは1984年に開催されるロサンゼルス・オリンピックから正式競技となる為、この大会が選考レースの第一弾として位置付けられるようになった事により、有力選手の参加が増えていった。
都市伝説「口裂け女」全国各地に出現!?
この年の春頃から、マスクをした若い女性が小・中学生の下校中に出没し「私きれい?」と声を掛けて来る。「きれい」と答えるとマスクをはずして、耳元まで裂けた口で笑う、「きれいじゃない」と答えると、鎌で切り掛かって来る。
この噂が全国に広がり、パトカーの出動騒ぎや、噂に便乗した女性が銃刀法違反容疑で逮捕されるという事件も起こり、社会問題とまで発展していった。
夏休みに入ると、噂は急速に沈静化。これは夏休みで子供達の情報交換が途絶えた為であるという。