団塊世代の想い出

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出来事

 主な出来事

ロッキード事件
1976.jpg1976_01.jpg1976年2月5日、米国上院外交委員会の公聴会で、航空機製造会社『ロッキード社』が、対日工作として1000万ドル(当時の為替レート:約30億円)を超える金を極秘で使っていたと証言。
更に7日には、ロッキード社・コーチャン副会長が「児玉に支払った21億円の内、国際興業の小佐野賢治、丸紅の伊藤宏専務を通じて日本政府関係者に支払われ、田中角栄総理大臣には5億円が渡された。」と証言。
これにより、全日空の「トライスター」導入選定に絡む、一大疑獄が明らかにされた。
衆議院予算委員会は、2月16日からの数日間、ロッキード社の「トライスター」導入選定に絡む疑惑で、小佐野賢治、全日空社長の若狭得治、丸紅会長の檜山廣などの証人喚問をおこなった。
2月18日、最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁による初の検察首脳会議が開かれた。
2月24日、検察庁と警視庁、国税庁による合同捜査を開始する。
東京地検は6月22日から7月13日にかけて、丸紅会長・檜山宏、同専務・大久保利春、全日空社長・若狭得治らを次々に逮捕した。
7月27日には、田中角栄元総理大臣が、受託収賄と外為法違反容疑で逮捕・起訴され、戦後最大の疑獄事件となった。

1976_1_2.jpg童謡「およげ ! たいやきくん」大ヒット
1976_1.jpg前年の1975年、フジテレビの子供番組『ひらけ!ポンキッキ』の中で歌われていた童謡が、12月25日にシングル盤として子門真人の歌唱で発売された。『およげ!たいやきくん』は発売後、瞬く間に大ヒットとなり、オリコン11週連続1位、450万枚を売り上げロングヒット曲となった。この記録は未だ破られていない。
その後、「パタパタママ」「山口さんちのツトム君」「ビューティフル・サンデー」など、テレビ番組からのヒット曲が連発した。

異種格闘技戦『アントニオ猪木 対 モハメド・アリ』
1976_7.jpg1976年6月26日、新日本プロレスの企画による「格闘技・世界一決定戦」が日本武道館で行なわれた。
プロレスラーのアントニオ猪木と、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリの試合は世紀の一戦と騒がれ話題になった。
試合のルールはアントニオ猪木にとっては不利なものになり、ほとんどのプロレス技が反則とされた。
反則技とされた「投げ技」「関節技」「頭突き」「立ち技でのキック」「タックル」「チョップ」等々、プロレス技が使えない試合となった。
まともに打ち合っては勝てないアントニオ猪木がとった策が、あの『アリ・キック』だった。
この試合が、「世紀の凡戦」「茶番劇」と酷評された背景には、以上の厳しいルールがあったからだ。
お互い、殆ど決定打を出す事も出来ず、3分15ラウンドを戦い、引き分けという結果に終わった。
この試合は、NET(現・テレビ朝日)で生中継され、38.8%という高視聴率だった。
試合後のモハメド・アリは、太ももが激しく腫れ上がり、帰国後にサンタモニカの病院に入院したという。
尚、試合の入場料金は異例の金額で、ロイヤルリングサイド席:30万円、特別リングサイド:10万円、リングサイドA:8万円、リングサイドB:6万円だった。

日本初のF1日本グランプリが開催
1976_8_1.jpg ゼッケン52:星野一義1976_2.jpg ゼッケン51:長谷見昌弘1976年10月22日から24日にかけて 、富士スピードウェイで日本初の『F1世界選手権イン・ジャパン』が開催された。
日本勢は、長谷見昌弘(コジマ)、星野一義(ティレル)、高原敬武(サーティース)、桑島正美(ウィリアムズ)の4名がスポット参戦。
長谷見は、予選1回目で4位となり海外トップチームを驚愕させたが、2回目セッションでクラッシュをし、結果10番グリッドからのスタート。完走を果たしたが、7周遅れの11位にとどまった。一方、星野は、旧型のマシン・ティレルを駆り、大雨の中一時3位を走行する健闘を見せたが、不運な事にスペアタイヤが底をつきリタイヤした。高原は日本人最高の9位と健闘、桑島は資金面でのトラブルにより決勝不参加、という結果に終わった。
優勝は、ポールポジションを取ったマリオ・アンドレッティ(ロータス)がそのまま逃げ切り、栄冠を手中にした。
翌年の1977年にも引き続き『F1日本グランプリ』は開催されたが、レース中に観客死亡事故が発生。
この影響などにより、翌年以降のF1選手権日本ラウンドは中断した。
「日本グランプリ」を冠したレースは10年間行われなかったが、1987年、鈴鹿サーキットで再び開催された。

五つ子誕生
1976_8.jpg1976年1月31日、鹿児島市立病院で、2男3女の5つ子が誕生した。排卵誘発剤を使っての妊娠で、5つ子は日本では初めての多胎児出産だった。
5月12日、東京の日大板橋病院に移り、9月27日に全員元気に退院した。
東京での新たな育児生活が始まり、夫婦の母親、3人のベビーシッターが育児の協力にあたった。
1982年4月7日、子供達が無事成長し小学校に入学した事から、NHKではドキュメンタリー特集「一年生になりました、五つ子6年間の記録」を放送し、多くの国民に感動を与えた。
後に、長女が東京大学に進学した事でも話題となった。