主な出来事
天皇、皇后両陛下 初の訪米1975年9月30日、初の天皇訪米が実現した。天皇、皇后両陛下は、米国・バージニア州ウィリアムズバーグに日航機で到着した。2日間ウィリアムズバーグに滞在し、10月2日にワシントン・アンドリュース空軍基地に到着、フォード大統領主催の歓迎式が行われた。夜には、ホワイトハウスで公式晩餐会が開かれ、日本の歌「さくらさくら」「浜辺の歌」が流れる中での歓迎レセプションだった。
翌日の3日は、アーリントン墓地、アメリカ赤十字を訪問。ワシントン市内を見物後、夜にスミソニアン博物館コモンズホールにて、フォード大統領をお迎えし、お返し晩餐会が催された。
米国には9日まで滞在され、10日には、在米日本人5千人以上から歓迎の日の丸の小旗が振られる中、ハワイ・ホノルルに到着、3日間滞在された。
10月14日午後4時、2週間の表敬訪問を終え、三木武夫首相ら政府関係者及び2千人以上の一般国民が出迎える中、両陛下は日航機で羽田空港に無事到着した。
これを記念して『天皇皇后両陛下御訪米記念切手』が発行された。
エリザベス女王 来日
1975年5月7日、エリザベス女王は御主人と共に英国・特別機で羽田空港に到着。これは1971年の天皇、皇后両陛下訪英の答礼訪問だった。夜には東京・赤坂の迎賓館で昭和天皇主催の晩餐会に御出席された。
9日、帝国ホテルから国立劇場までの約2km間を沿道からの大歓迎を受け、オープンカーでのパレードを行なった。
10日には、飛行機で移動し、京都御所、龍安寺、桂離宮などを見学。
翌日、伊勢神宮を参拝、鳥羽・御木本真珠島を訪問したりと、関西方面での日本文化を堪能された2日間だった。
12日、新幹線にて富士山を眺めながら東京に戻り、夕方、羽田空港より離日された。
翌年の1976年には、エリザベス女王来日を記念して、中央競馬 G1レース「エリザベス女王杯」が創設された。
日本女性エベレスト初登頂に成功1975年5月16日、エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長の田部井淳子さん(35歳)は、世界最高峰のエベレスト(標高:8848m)に女性では世界初の登頂に成功した。
登頂の成功をキャンプで待つ隊員に、トランシーバーを使って伝えた。
「12時35分、頂上です」
「お疲れさまでした、どうぞ」
「全隊員の気持ちと、全シェルパの協力の気持ちをかみしめながら、歩いてまいりました」
キャンプでは、皆涙を流しながらその報告を喜んで聞いた。
田部井淳子さんは下山後の記者会見で、頂上が畳1畳半ぐらいの狭さだった為、ぐるりと一回りするのが恐ろしく、半分ずつ見た。と話しその状況を伝えた。
帰国後、登山隊の15名は多くの歓迎を受け、天皇、皇后両陛下からも祝福された。
沖縄海洋博覧会開幕
アクアポリス1975年7月20日、" 海-その望ましい未来 " のテーマーで国際博覧会が、沖縄県国頭郡本部町で開催された。沖縄県の本土復帰記念事業として催され、世界各地から36ヶ国と三つの国際機関が参加した。
開会式に御招きされた、皇太子明仁親王・同妃美智子様が、ひめゆりの塔を訪問した際、左翼活動家から火炎瓶を投擲されるという痛ましい事件が起こった。
1968年1月18日までの183日間、約349万人の来場者が訪れたが、当初の計画、450万人には遠く及ばず、地元関係者を落胆させてしまった。
この沖縄海洋博覧会を記念して、前年の1974年3月2日、20円(プラス5円の付加金付き)記念切手が発行され、1975年7月3日には100円白銅貨、そして7月19日に20円・30円・50円の三種類記念切手がそれぞれ発売された。
海洋博の終了後の跡地は、国営沖縄記念公園となった。