団塊世代の想い出

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出来事

 主な出来事

1974_1.jpg小野田寛郎さん、フィリピン・ルバング島から帰還
小野田寛郎(陸軍少尉)さんは、日本の無条件降伏を信じず、ルバング島にて来るべき反撃に備え、情報収集などの軍事活動をおこなっていた。ルバング島で入手したラジオによって日本の出来事も知っており、また冒険家・鈴木紀夫氏と遭遇し、帰国を勧められたりもしたが、軍部による任務解除の命令が無かった為、任務を遂行していたのだった。
1974年3月9日、ルバング島にて元陸軍少佐による「参謀部別班命令」を口達し、小野田少尉の任務を解除した事により、帰還に同意した。
3月10日、小野田少尉はフィリピン空軍基地にて正式に降伏。これにより彼の戦争は終結した。
3月12日、日本の関係者と共に羽田空港に無事到着。終戦後29年目にしてやっと祖国の土を踏んだ。
小野田さんは、日本政府からの見舞金や義援金を受け取らず、全て「靖国神社」に寄付をする。
帰国後、日本社会に馴染めなかった為、半年後にブラジルに移住し、牧場を経営して余生を満喫した。

さわやかイレブン 〜池田高校〜
徳島県立池田高等学校の野球部は、僅か11名の部員しかいないチームではあるが、4月に開催された春の甲子園大会では、惜しくも報徳学園高校に敗れはしたものの、準優勝を果たした。
この蔦文也監督率いる野球部は『さわやかイレブン』と呼ばれ脚光を浴び、池田高校野球部は一躍有名になった。
後に池田高校野球部は、蔦文也監督に鍛えられた、畠山準(南海)や水野雄仁(巨人)など数々のプロ野球選手を生み出している。
試合結果
 1回戦/池田 4-2 函館有斗 2回戦/池田 3-1 防府商 準々決勝/池田 2-1 倉敷工(延長12回)
 準決勝/池田 2-0 和歌山工 決勝/報徳学園 3-1 池田

「ノストラダムスの大予言」ブーム
1974_5.jpgノストラダムスの大予言は、1555年にフランスの医師であり占星術師でもあるノストラダムスが著した『予言集』が原作である。当時の執筆によると、分子の光学異性体を発見したパスツール、独裁者ヒトラーの出現やカギ十字などを予言し、次々と的確に当てており、そして未来の事を次のように予言している。
『1999年の7の月、天から恐怖の大王が降ってくる、アンゴルモアの大王をよみがえらせ』
これを前年の1973年11月に作家の五島勉が翻訳した著書「ノストラダムスの大予言」が出版され、1999年7の月に人類が滅亡するという解釈が、当時のオイルショックや公害問題などの社会不安を背景に250万部の大ベストセラーとなった。
これを原作に映画化された「ノストラダムスの大予言」が8月に東宝から公開され、この映画は文部省推薦を受け大ヒット。更にノストラダムス・ブームが過熱し一大ブームを巻き起した。

1974_2.jpg1974年10月14日 最終試合中日戦 ホームランを放つ巨人軍・長島茂雄 現役引退
1958年、立教大学から『読売ジャイアンツ』に入団した長嶋茂雄は、公式戦デビューに於いて国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の金田投手より4打席4三振というプロの洗礼を受けたが、その年の新人王を獲得。
プロデビュー翌年の6月25日に開催された天覧試合では、阪神の村山投手からホームランを打つという快挙を遂げ大物ぶりを発揮した。
王貞治とON時代を築き、巨人のV9にも貢献した長島選手が体力の衰えにより引退を表明した。
それは1974年10月12日、中日ドラゴンズの優勝が決まり巨人の10連覇が消えた日だった。
10月14日、最終戦の中日戦(ダブルヘッター)、第一試合では久々のONのアベック・ホームランを放ち球場を沸かせた。最後のクライマックス、第二試合では、「4番サード・長嶋」のアナウンスがあった瞬間、場内がどよめきと大歓声に包まれた。
最終試合の後、球場で引退セレモニーが行われ、「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残し、現役に終止符を打った。
そして、長島選手の背番号『3』は巨人軍の永久欠番となる。
11月21日、「クリーン・ベースボール」を標榜とし長嶋茂雄は巨人軍の監督に就任した。