主な出来事
札幌冬季オリンピック 開催
1972年2月3日、アジアで初の冬季オリンピック(第11回冬季オリンピック)が、北海道・札幌市で開催された。
2月6日、宮の森ジャンプ競技場で行われたスキージャンプ 70m 級では、笠谷幸生 1位、金野昭次 2位、青地清二 3位と、完全制覇する快挙を遂げた。日本人としては初の表彰台独占だった。
後に彼らを『日の丸飛行隊』と称して讃え、後に続く日本ジャンプ陣にも呼ぶようになった。
フィギュアスケートでは、米国のジャネット・リンが、日本中で大人気になり、その愛くるしい笑顔から「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と呼ばれ、話題になった。
2月13日、35か国・1128人の選手で競技されたオリンピックも、無事終了し閉会式が行われ幕を閉じた。
元日本兵・横井正一さん グアムで発見・救出
1972年2月2日、羽田空港に着いた横井庄一氏の第一声は「恥ずかしながら帰って参りました」だった。
これは戦前の軍事教育に「生きて本土へは戻らぬ決意」が有った事による発言である。
グアムで終戦を知らなかった横井庄一氏は、約28年間、いつ現れるかもしれぬ敵との恐怖心に耐え忍び、また食料確保など困難な中、一人ジャングルで暮らしていた。
1月24日、食料確保の為、川でエビを採っていた所を現地の猟師に発見され、日本政府により帰還の運びとなった。
あさま山荘事件
1972年2月19日、武装した極左翼集団『連合赤軍』のメンバー5人によって、浅間山荘(長野県北佐久郡軽井沢町)の管理人の妻を人質に取り、立て篭った。
篭城する犯人グループに対し、警察は浅間山荘への送電の停止、放水、ガス弾の使用、特型警備車を用いた強行偵察など、犯人側との攻防が10日間も続いた。
2月28日、警察官及び機動隊員が浅間山荘に強行突入に踏み切った。
犯人グループとの銃撃戦で、死者3名、重軽傷者27名を出す大惨事となったが、人質は無事保護され、犯人グループ5人は全員逮捕された。
この突入の様子がテレビで生中継され、最高視聴率89.7%と、全国民の関心の高さが表れた。
沖縄返還1972年5月15日、戦後、アメリカ合衆国の施政権下に有った沖縄県が日本に返還され、那覇市では沖縄県主催の「沖縄復帰記念式典」が盛大に開催された。
また、これを記念した「沖縄復帰記念切手」(額面20円)「沖縄返還協定批准記念切手」(額面5c)がそれぞれ発行された。
返還に伴い、沖縄県庁や沖縄県警、自衛隊なども置かれ、1978年7月30日には車両の通行が左側通行に切り替えられた。
また、復帰時に「本土並みの経済」がスローガンとして掲げられたが、40年経った今なお一人あたりの県民所得が全国最低のままである。
田中内閣「日本列島改造論」発表
1972年7月に田中内閣が発足すると、日本列島を高速交通網で結び、地方の工業化、過疎、過密、公害等の問題を同時に解決するという「日本列島改造」計画を発表をした。
これにより日本は、改造ブームに沸き地価が急激に上昇した。その影響で物価も上昇し、インフレになった最大の要因である。
田中角栄が通産相時代に発表した開発計画「日本列島改造論」は、前年の1971年6月20日に出版・販売され91万部のベストセラーとなった。