団塊世代の想い出

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1967年の出来事

 主な出来事

伝説の名車「トヨタ2000GT」発売
1967_3.jpg1967年5月、トヨタ自動車はヤマハ発動機と共同開発した「トヨタ2000GT」を発売した。
2人乗り2ドアクーペで、エンジンは水冷直列6気筒 DOHC1988ccを搭載。最高出力150ps、最大トルク18.0kgm、5速MTで最高速度は230km/hを誇り、当時としては世界トップクラスの性能だった。価格は238万円と想像を絶する超高額車で、一般サラリーマンには手が出ず高嶺の花だったが、メーカーとしては全て手作りの量産タイプではない為、コストが掛かり過ぎ赤字販売だったようだ。
また、この年の6月に日本でも公開された映画「007は二度死ぬ」にトヨタ2000GTはボンドカーとして採用され世界中から注目を集めたスポーツカーだった。
生産は全てヤマハ発動機に委託され、1970年8月までの3年3ヶ月で337台が作られ、国内では218台が販売された。
現在でもトヨタ2000GTは生産台数が少ない為にプレミアが付き、2000万円以上で取引されているケースもある。

世界初 ロータリーエンジン搭載「コスモ スポーツ」発売
cosmo_1.jpg1967年5月30日、東洋工業(現・マツダ)よりロータリーエンジン搭載車「コスモ スポーツ」が発売された。元々ロータリーエンジン搭載車はあったが、多くの課題が未解決のままで量産タイプは製造されていなかった。東洋工業はそれらの課題を克服し、世界初の実用・量産ロータリーエンジンを開発した。
コスモスポーツは、二人乗りのスポーツカーで、斬新なデザインにロータリー独特の加速感が若者受けし注目を浴びた。但し、価格が148万円と高価で(参考:フェアレディ2000:88万円)更にロータリーであるがゆえの燃費の悪さもあり、直ぐには若者が手を出せる車では無かった。1972年の生産中止まで、1.176台が造られた。

twiggy_1.jpgツイッギーの来日 〜ミニスカート・ブーム〜
1967年10月2日、ミニの女王・ツイッギーの来日により、世代を超えてミニスカートが大ブームとなり、美空ひばりが「真赤な太陽」をミニスカート姿で歌ったり、当時の首相が訪米した際、同行した夫人が62歳の年齢でミニスカートを着用したことも話題となった。
大半の女性がミニスカートを着用し(90%以上の女性が着用したとも言われている)あまりのブームに品切れとなり、今までのスカートの丈を直すなどして着用した程の人気ぶりだった。これほどの大ブームは、後にも先にもこれ一度であろう。

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ピーコック革命、そしてヒッピー・フーテン族の出現へ
サラリーマンは白のワイシャツが定番だったが、「ピーコック革命」によりカラーシャツが大流行した年でもあった。
 ※ピーコック孔雀)は雌よりも雄の方が美しい羽を持つ事から名付けられた。
また、パンタロンが流行し、そしてヒッピー・フーテン族の出現と、時代は変化していった。
ヒッピー
1960年代後半、米国の若者たちの間で流行り、既成の社会生活を否定することを信条とし、自然への回帰を提唱する人々の事。彼らは反戦運動をし、愛と平和を訴え徴兵や派兵に反発した若者達が多かった。
フーテン族
米国のヒッピーの真似で、長髪にジーパン、サンダル履きで仕事(学校)もしない無気力な若者達。新宿駅東口周辺が溜まり場だった。