団塊世代の想い出

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1965年の出来事

 主な出来事

国産旅客機「YS-11」就航
ys11_150.jpg戦後初の国産旅客機「YS-11」は、1965年4月1日、日本国内航空(後の日本エアシステム)が、東京・羽田ー 徳島ー高知線で定期航空路線の運用を開始した。
旅客機以外でのフライトは1964年9月9日、ギリシャより運んだ東京オリンピックの聖火を、国内でYS-11「聖火号」が那覇から千歳まで空輸した。
YS-11は、日本航空機製造が製造した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機で、標準定員64席の小型機で182機が製造された。民間旅客機以外に自衛隊や海上保安庁でも使用されていたが、日本国内では2006年9月30日、旅客機としての運航を終了した。(自衛隊は現在も運行中)※YS-11の正式呼称:ワイエスいちいち 愛称:オリンピア

日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』放送開始
1965_6.jpg1965年10月6日 、日本では最初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』放送開始された。
ジャングル大帝は、1950年10月から月刊「漫画少年」で連載開始された手塚治虫の漫画であり、虫プロダクションによりテレビアニメ化されてフジテレビ系列で放映された。
放映時間は、毎週水曜日の19時から19時30分の30分間放映され、翌年の1966年9月28日に52話で最終回を迎えた。また、ジャングル大帝は一昨年の1963年放映された『鉄腕アトム』に続いて、米国を初めとする世界各国でも『Kimba the White Lion』の題名で放映もされた。翌年の1966年には、 第4回テレビ記者会賞特別賞受賞、厚生省中央児童文化財部会年間優秀テレビ映画第1位、厚生大臣児童福祉文化賞受賞。更に1967年には、 東宝系で公開された『劇場版・ジャングル大帝』がヴェネツィア国際映画祭でサンマルコ銀獅子賞を受賞という輝かしい成績を収めた名アニメであった。

エレキ・ギター ブーム
エレキの若大将.jpg1965年1月、ザ・ベンチャーズの2回目の来日(初来日:1962年)により日本での一大エレキ・ブームが巻き起こった。
同年6月23日からフジテレビではアマチュア・エレキバンドのオーディション番組「勝ち抜きエレキ合戦」が放送され、より一層エレキ・ブームが加速していった。同番組には "エレキの神様" 寺内タケシが審査員として参加している。
尚、寺尾聰(ザ・サベージ)も挑戦し優勝しているが、歴代チャンピオンの中でも最強チャンピオンは成毛滋らがいたザ・フィンガーズだった。
また映画でも、東宝「エレキの若大将」が同年12月19日に封切られた。 自らも作曲し演奏する加山雄三主演映画で『ブラック・サンド・ビーチ』や『夜空の星』などのエレキ・サウンドを披露している。
このエレキ・ブームが、やがてビートルズの来日によりグループサウンズ・ブームへと発展していった。

朝永振一郎氏「ノーベル物理学賞』受賞
1965_7.jpg1965年10月21日、朝永振一郎氏がノーベル物理学賞を受賞した。
朝永振一郎氏は、量子力学分野での基礎研究が認められ、アメリカの科学者ジュリアン・シュウィンガー、リチャード・ファインマンの二人との共同で物理学賞を受賞した。日本人としては、1949年の湯川秀樹氏(物理学賞)に続く二人目のノーベル賞である。
1906年3月31日生まれ、京都帝国大学・理学部卒(現・京都大学)東京文理科大学(現・筑波大学)東京教育大学の教授を経て1961年に東京教育大学長に就任。
1979年7月8日咽頭癌により永眠(享年73)