団塊世代の想い出

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1964年の出来事

 主な出来事

新幹線・10月1日開通
shinkansen.jpg1959年4月に着工された新幹線は、東京オリンピック開会に間に合い、1964年10月1日に開通した。
東京・大阪間を3時間で結ぶ「夢の超特急」であり、今でこそ当たり前のごとく乗車しているが、当時としては乗車する事がひとつのステータスでもある時代だった。
今では廃止されてしまったが、食堂車があり、またビュッフェで軽食やコーヒーを楽しむ事も出来た。
そして10月10日、無事、東京オリンピックが開催。首都高速道路も整備され、世界に向けて躍進する日本を印象付ける年となっていった。

東京オリンピック・10月10日開催
olympics2.jpgolympics1.jpg東京オリンピックは、戦前の1940年開催される予定であったが日中戦争の影響により、日本政府が開催権を返上したため開催されなかった。
そして、1964年10月10日(後にこの日を体育の日と設定される)アジアで初のオリンピックが、ついに東京で開催された。戦後の日本荒廃から立ち直り復興を遂げる意味に於いても国家的イベントであった。
日本は金メダル16、銀メダル5、銅メダル8、計29個(獲得数は、米国、ソ連に続き三位)のメダルを獲得し大会は大成功を成し遂げた。

女子バレーボール
olympics3.jpg東洋の魔女「日本チーム」今回から正式種目に加わったバレーボール。なかでも日本女子チームは「東洋の魔女」と呼ばれ、世界に恐れられていた。大松監督率いる日紡貝塚チームをメインに構成され、小柄な日本チームをカバーする為に日本独自で編み出された「回転レシーブ」を駆使、最終戦のソ連相手にセットカウント3.1で勝利した。
<日本チームメンバー>
河西昌枝・宮本恵美子・谷田絹子・半田百合子・松村好子・磯辺サダ・松村勝美・篠崎洋子・佐々木節子・藤本佑子(以上、日紡貝塚)近藤雅子(倉紡倉敷)渋木綾乃(ヤシカ)

体操男子
olympics4.jpg体操男子団体 優勝過去オリンピックで4個の金メダルを獲得した日本のエース小野喬(選手団主将)は、大会前に痛めた肩に麻酔を打ち臨んだが、個人種目でのメダル獲得はならず、団体総合のみの金メダルに終わってしまった。体操王国日本としては、遠藤幸雄(平行棒・個人総合)早田卓次(つり輪)山下治広(跳馬)らの活躍もあり、日本男子は団体総合で金メダル、個人種目で4個の金メダルを獲得した。
この時の難易度を表す「ウルトラC」のネーミングをとり「ウルトラマン」誕生となる。
<体操男子団体総合メンバー>
遠藤幸雄・小野喬・鶴見修治・早田卓次・三栗崇・山下治広
 ※尚、女子は団体総合で銅メダルを獲得した。
<体操女子団体総合メンバー>
相原俊子・池田敬子・小野清子・千葉吟子・辻宏子・中村多仁子

柔道・日本
日本のお家芸である柔道は、今回から正式種目に加わり4階級で戦われた。中谷雄英(軽量級)岡野功(中量級)猪熊功(重量級)が金メダルを獲得したが、無差別級では神永昭夫(膝の靭帯を断裂し出場)が挑んだが、オランダのアントン・ヘーシンクに敗れ銀メダルに終わってしまった。

マラソン「裸足の王様・アベベ」「円谷がんばれ!」
レースに靴を履かず挑んだ「裸足の王様・アベベ」(エチオピア)が優勝した。
日本代表は、君原健二、円谷幸吉、寺沢徹の3名が挑み、日本中の期待を背負った君原健二は8位と振るわなかったが、円谷幸吉が銅メダルを取り一躍日本のヒーローとなった。

愛と死をみつめて
aitosi.jpg日本レコード大賞受賞曲顔に軟骨肉腫ができる難病に冒されていた大島みち子(ミコ)さんと、それを励まし支えとなっていた恋人、河野実(マコ)さんによる実話である。
3年間に及ぶ文通が書籍化され出版、160万部を売り上げる大ヒットを記録した。
1964年1月ニッポン放送「ラジオ劇場」で「健康な日を3日」のタイトルで放送された。
続く1964年4月には、TBS番組 東芝日曜劇場にて「愛と死をみつめて」が放送される。
映画でも日活から同年9月、 吉永小百合・浜田光夫により映画化がされている。
翌年の1969年8月には、朝日放送により「若きいのちの日記」(島かおり・ 高橋長英)を放送。
1978年7月、TBSからも「若きいのちの日記」(大竹しのぶ・山本学)が放送された。
2006年3月には、テレビ朝日から草彅剛・広末涼子によるリメーク版も放送された。

大島みち子(ミコ)さんの手記より~健康な日を3日ください~
病院の外に健康な日を3日ください。
 1日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。それから母と台所に立ちましょう。
 2日目、私は貴方の所に飛んで行きたい。おへやをお掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理をつくってあげたいの。
 3日目、私はひとりぽっちで思い出と遊びます。そして笑って永遠の眠りにつくでしょう。

アイビー・ブームLinkIcon詳しくはこちらに
VAN、JUN などのファッションメーカーが発売するアイビー・ルックが若者の間で一大ブームとなった。
みゆき族
miyuki_1_1.jpg東京・銀座のみゆき通りに集まっていた若者達をマスコミが社会現象として取り上げ「みゆき族」と称した事から一躍世間に知られるところとなった。彼らはアイビールック(実際は崩して着こなしていた為、厳密にはアイビールックと呼べない)のスタイルを装い、ただただみゆき通りにたむろしているだけだった。これに対し地元商店街からの苦情や東京五輪を控え、風紀上の問題点もあり、9月に入り築地警察署によって一斉補導した為、みゆき族は終息していった。
※男性:" VAN " や " JUN " のファッションを好み小脇に" VAN " か " JUN " のロゴ入り紙袋、或は麻袋(コーヒー豆の麻袋:通称、ズタ袋やフーテン・バッグとも呼ばれていた)を抱えていた。
※女性:ブラウスにロングスカートをリボンで後ろ結び、ローシューズを履き、スカーフや首にネッカチーフを巻くのが主流だった。小脇には男性同様に紙袋か麻袋を抱える。