団塊世代の想い出

1960年の出来事

 主な出来事

議事堂周辺のデモ隊60年安保闘争
1951年に凍結された日米安保条約は、1960年1月19日に岸首相により改定の調印がなされた。これに反対した社会党・労働組合・学生(全学連)及び一般市民は「日米新安全保障条約」に抗議し、6月15日、国会議事堂の周りを大規模なデモ行進をした。8000人を超える学生を動員した全学連は、機動隊と衝突しながらも国会内に突入し中庭を占拠した。この騒動で、東大の女子大生が死亡するという痛ましい惨事が起きた。
6月22日、全国で600万人を超える大規模なストや集会が行われ、同日、岸首相は責任を取り辞任を表明した。
6月23日、新安保条約の批准書の交換、全手続きを終了。
7月14日、岸首相が暴漢に襲われ重傷を負う。
7月15日、岸内閣総辞職をした。
10月12日、日本社会党委員長の浅沼委員長が、少年(17才)により暗殺される。

世界初の「トランジスタ・テレビ」発売
1960年4月30日、ソニーが世界初のトランジスタテレビ「TV8-301」を発売した。
8インチの直視型ポータブルテレビで、シリコンとゲルマニウム合わせて23石のトランジスタと19石のダイオードを搭載、小型高圧整流用真空管2本を使い3電源方式の世界に類がない画期的なテレビだった。
この発売により、ソニーのトランジスタ技術、テレビの製造技術の高さを世界に示す事ができたが、販売価格6万9千800円という高額なうえ、庶民にとってはまだまだ高嶺の花で、家庭用のテレビさえも普及されていない時代だった。更にトランジスタのトラブルにより画像が不安定であり故障が多い為、返品が多かったという。
2年後の1962年5月、技術的な解決策を追求、改良型の世界最小・最軽量のオールトランジスタテレビ「TV5-303」を発売した。

国産初の「インスタント・コーヒー」発売
それまでのインスタントコーヒーは米国から輸入していた「ネスカフェ( Nescafe)」が主流だったが、1960年8月10日、森永製菓の三島工場にて日本で初めて製造し販売された。輸入品に比べ価格も安く簡単にコーヒーが家庭で楽しめるとして広まっていった。
インスタントコーヒーを発売して以来、「即席」に代わって「インスタント」という言葉が流行し、インスタント時代に幕を開けた。

ダッコちゃん・ブーム
宝ビニール工業所製造・ツクダ屋玩具によって販売されたビニール製の人形。両手足がしがみつけられる玩具。当初の商品名「木のぼりウィンキー」・「黒ん坊ブラちゃん」と言われていた。
この年の7月に1個180円で発売されると、この玩具を腕にぶら下げる事が若い女性の間で密かなブームとなっていった。
この模様を「ダッコちゃん」という愛称で週刊誌が掲載し、またテレビ局でもこの話題を放送し火が付き、一大ブームとなった。これにより注文が殺到し製造が追いつかず、常に品切れの状態で偽物が流通したほど。12月までの僅か半年足らずで240万個の爆発的な販売を記録した。