団塊世代の想い出

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出来事

 主な出来事

伊勢湾台風
1959_1_2.jpg1959年9月26日18時頃、紀伊半島の潮岬から上陸した台風15号は、時速75kmの猛スピードで伊勢湾を抜け北上した。
最大瞬間風速が伊良湖で55.3m、名古屋で45.7mを観測するなど、各地で暴風が吹き、予想を上回る高潮が発生した。名古屋では1912年以来という5.31mの高潮を観測。各地で起きた高潮は次々と堤防を決壊し家屋をなぎ倒していった。そして河川も氾濫、街は水没した。
1959_1.jpg東海地方に大きな被害を及ぼした台風15号は日本海に抜け、翌27日朝6時には温帯低気圧に変わりながら北海道東部を通過していった。
三重・愛知・岐阜の東海3県を中心に、死者4,697人・行方不明者401人、負傷者38,921人、全半壊家屋15万棟以上に及び、戦後最大の被害となった。
伊勢湾に隣接する名古屋市南区付近では、1ヶ月以上も水が引かない地域があり、水没地域が完全に復旧したのは被災から半年経った翌年3月下旬であった。
尚、この台風15号を気象庁により『伊勢湾台風』と命名された。

皇太子殿下、御成婚
1959_2_2.jpg1959_2.jpg前年の1958年11月、宮内庁は日清製粉社長令嬢の美智子さまとの御婚約を発表した。
一躍時の人になられた正田美智子さまを、マスコミは「昭和のシンデレラ」「世紀のご成婚」と銘打ち、美智子さまの生い立ちや、皇太子殿下との交際などを詳報。週刊誌では特集を組み掲載。これにより、皇室情報が一般人に浸透するようになっていった。
皇太子妃に決まった正田美智子さまは、『ミッチー』の愛称で親しまれ、テニスで着ていた白地のVネックセーター、ヘアバンド、カメオのブローチ、ストール、白の長手袋などを真似たファッション「ミッチースタイル」が大流行した。
1959年4月10日、東宮御所にて「結婚の儀」が行われ、皇居から渋谷の東宮仮御所までを馬車によりパレードされた。沿道には、53万人の群衆が詰めかけ、このパレードはNHKテレビにより実況生中継された。この模様を観ようとTVが爆発的に売れ、NHKの受信契約数が200万台を突破した。

初の天覧試合 〜長嶋茂雄・サヨナラ本塁打〜
1959_3.jpg1959年6月25日、後楽園球場で開催された巨人対阪神は、昭和天皇・香淳皇后が初めてプロ野球を観戦なさる「天覧試合」となった。
19時、巨人が藤田元司、阪神が小山正明の両エースの先発で始まった。
5回裏に長嶋茂雄、7回裏には王貞治が本塁打を放ち、これが初のONアベック弾となった。
同点に追い付かれた阪神は新人・村山実投手に託し、9回裏を4対4の同点で迎えた。
時間は既に21時を過ぎていた。この天覧試合で両陛下が野球観戦なさるのは21時15分までとされていた為、残された時間は僅か数分となっていた。
21時12分、残り3分、先頭打者の長嶋茂雄は村山実投手からサヨナラ本塁打を打ち、両陛下は試合結果を見届けられ貴賓席からお立ちになられた。
この歴史的快挙を遂げ、長嶋茂雄は新人ながらチャンスに強いという大物ぶりを発揮した。
そして、王と長嶋の「ONアベック弾」、長嶋と村山の「宿命のライバル」はこの日から始まっていったのだ。

第1回「日本レコード大賞」開催
1959_5.jpg1959年12月27日午後3時、東京・文京公会堂で「第1回日本レコード大賞」が発表された。
このレコード大賞は、前年の1958年創設された米国のグラミー賞を参考に、作曲家の古賀政男、吉田正、服部良一の3人によって考案され、主催に日本作曲家協会と日本レコード大賞制定委員会、後援にKRテレビ(現・TBS)により開催された。
第1回日本レコード大賞には、同年7月にデビューした新人歌手の水原弘「黒い花びら」に決定した。また大賞以外にも各賞が受賞された。
歌唱賞:フランク永井「夜霧に消えたチャコ」
作曲賞:渡久地政信「夜霧に消えたチャコ」歌手:フランク永井
作詩賞:サトウハチロー「フルート」歌手:島倉千代子
童謡賞:「やさしい和尚さん」歌手:石井亀次郎とキングホウズキ会
尚、新人賞には新人の水原弘が大賞を受賞した事により、該当者無しとなった。