主な出来事
狩野川台風
1958年9月26日深夜、台風22号の中心が接近した伊豆半島では豪雨となり、湯ヶ島では雨量120mm/hにも達し、総雨量は753mmに及んだ。
この台風に伴う豪雨により、伊豆半島の狩野川では上流部の山地一帯で鉄砲水や土石流が集中的に発生した。激しい水流によって川の堤防は崩れ、民家は濁流に飲み込まれ多数の死者を出した。
その後台風は伊豆半島南部を抜け、相模湾から神奈川県に上陸した。南岸沿いの前線が活発化し記録的な豪雨となったが、台風の勢力は弱まり東京付近を通過し三陸沖へ抜けていった。
東京では日降水量が393mmと気象庁開設以来の雨量となり、石神井川の堤防決壊など、随所に水害が発生し、交通網が寸断された。
全国の死者・行方不明者は1269人に達し、その中でも最も被害が甚大だった狩野川流域では、死者・行方不明者853人もの被災者を出してしまった。
巨人・長嶋茂雄デビュー1958年、立教大学では六大学リーグの通算新記録となる8本塁打記録を持ち、鳴り物入りで入団した長嶋茂雄は、4月5日開幕戦の国鉄スワローズとの対戦に3番サードで先発初出場した。ベテランの金田正一投手がプロの意地を見せ付け、ルーキー長嶋茂雄は4打席連続三振というプロの洗礼を浴びた散々たるデビューだったが、その後のシーズンは大活躍した。この年の最終打撃成績は、本塁打:29本(1位)打点:92点(1位)打率:3割5厘(2位)と素晴らしい成績を収め、この年の新人王に選ばれた。
また、 9月19日、対広島戦で本塁打を打ちながら一塁を踏まずアウト(投手ゴロ)とされたが、それは長嶋茂雄らしい一面を見せた「幻のホームラン」だった。
そして、翌年の「天覧試合」ではサヨナラ本塁打を放ち、歴史的快挙を遂げる大物ぶりを発揮していった。
世界初・即席麺「チキンラーメン」発売1958年8月25日、即席麺が日清食品によって発売された。「チキンラーメン」の価格は1袋35円。当時の国鉄初乗り運賃が10円だった事をおもえば高価な値段ではあったが、珍しさもあり手軽で簡単な事から瞬く間に世間に広がりブームとなった。
この「チキンラーメン」が発売された事により、「支那そば・中華そば」に代わり「ラーメン」という呼び名が全国的に広まった。
※世界初の即席麺は、1955年に松田産業が「味付中華麺」を開発したが、販売に失敗。
したがって、商業的に成功した「チキンラーメン」が実質的に世界初の即席麺といえる。
フラフープ・ブーム
この年、米国で大流行したフラフープは、日本でも10月18日に発売された。大人用270円、子供用200円の価格で、硬質ポリエチレンでできた直径約90cmの輪を落ちないように胴体で振り回す遊び。発売開始僅か1ヶ月間で80万本も売れ、日本中を熱狂させ一大ブームを巻き起こした。
競技大会も全国各地で開催されたり、日本コロムビアから「フラ・フープ・ソング」のレコードまでもが発売された。しかしこのブームも12月に入ると「やりすぎると腸捻転になる」という噂が広まり急に下火となり、僅か2ヶ月でブームは終焉した。
初の一万円札発行1958年12月1日、昨年の5千円紙幣発行に続き1万円紙幣が発行された。高度経済成長の折り、高額紙幣の発行を望む企業の声が高まり、1953年頃に大蔵省が打ち出した構想を実現化した。
紙幣には聖徳太子の肖像が使われ、透かしは法隆寺夢殿が入っている。従来は肖像と同一の透かし画像ではあったが、今回は異なっていた。
発行当初の1万円札は庶民には高嶺の花の高額紙幣ではあったが、東京五輪が開かれた1964年頃には日銀券発行総額に占める1万円札の割合が50%以上となり、経済生活の主役に躍り出た。
東京タワー 完成
1957年6月、東京都港区芝公園4丁目に着工され、1958年10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれた。
東京タワーは、相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想で、総工費約30億円、延べ219,335人の人員を要し一年半を掛け完成された。地上125mと223mには展望台が作られており、高さ333mの電波塔は、312mのパリ・エッフェル塔を抜き、当時としては世界最高の鉄塔となった。