団塊世代の想い出

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出来事

 主な出来事

南極「昭和基地」誕生
1957_1.jpg前年の1956年11月8日に日本を出港した海上保安庁の観測船「宗谷」が南極・リュッツホルム湾東岸部の東オングル島に到着した。
1月29日、永田武隊長率いる第1次南極観測隊53名が上陸、南極観測基地が開設され、昭和基地と命名された。
2月15日、永田武隊長ら42名は離岸したが、西堀栄三郎越冬隊長以下11名は越冬する為、昭和基地に残った。
1年後の1958年2月,昭和基地にいる第1次隊員と入れ替わる為、第2次観測隊を乗せた「宗谷」は東オングル島に到着したものの、深い岩氷に挟まれ接岸を断念した。
2月14日、1次隊越冬隊の全隊員は飛行機とヘリコプターで脱出し天候の回復を待っていたが、2月24日越冬不成立を宣言。その際、昭和基地で活躍した樺太犬15頭は乗せる事が出来ず置き去りにし帰還した。その結果、観測隊は置き去りにした事に対し激しい非難を浴びる事となり、残された犬達の生存は絶望視された。
1957_1_2_1.jpg1957_1_3.jpg1959年1月14日、第3次越冬隊が、置き去りにした15頭の内、2頭の生存を確認。すぐさまニュースで流れ、日本中に衝撃と感動を与えた。
この2頭の犬が、後に映画化され公開された「南極物語」の『タロ』『ジロ』である事は言うまでもない。
2007年(平成19年)には南極地域観測50周年を記念して、『タロ』『ジロ』をモチーフにした記念切手と記念500円硬貨が発行された。

3輪・軽トラック『ダイハツ・ミゼット』発売
1957_2.jpg1957年8月1日、ダイハツ工業は3輪軽トラック『ダイハツ・ミゼット』を発売した。
ミゼットは、全長2.54m、全幅1.2m、全高1.5m、排気量250cc、の軽自動車枠に収まり、300kgまで積載可能な日本で初の3輪トラックである。
乗車定員は1名(DSAP型のみ2名可能)、ハンドルはオートバイと同じバーハンドルを採用。但しドアは付いていなかったが、1959年10月に発売されたMP型からは乗車定員2名、ハンドルも丸ハンドルへと変更され、ドアも付き運転し易く改良されている。
このミゼットは、ダイハツ工業がスポンサーになっているテレビCMで、コメディアンの大村崑と佐々十郎を起用。それが大評判となり、ミゼットは一躍ベストセラーとなった。

初の国産ロケット「カッパー4C型」の発射に成功1957_6.jpg
戦後、東大の糸川英夫教授を中心とする AVSA研究班 (現・宇宙航空研究開発機構) により国産ロケット開発が始められた。
1957年9月20日、東大・秋田ロケット実験場(秋田・岩城町)で、糸川英夫教授率いる東大AVSA 研究班が日本初の観測用ロケット『カッパー4C型』1号機(全長5.93m、重量378kg)の打ち上げに成功し、高度約4万5000m時、搭載のガイガーカウンターで宇宙線を観測した。

1957_5.jpg初の五千円紙幣・百円硬貨 発行
1957年9月16日、大蔵省は五千円紙幣のデザインを発表、10月1日から発行された。
千円札の8色刷りに対し、五千円札は14色刷りの当時としてはカラフルな色調となった。表面中央には聖徳太子像、右側には聖徳太子の透かしが入り、裏面は日本銀行が描かれている。
この五千円札発行により、大企業は歓迎ムードであったが、商店は釣り銭の心配をしなければならないという複雑な心境だったようだ。
1957_5_2.jpg1957年12月11日、硬貨では最高額の百円硬貨が発行された。
表面は鳳凰、裏面には旭日が描かれており、戦後初の銀を使用した硬貨である。