団塊世代の想い出

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出来事

 主な出来事

砂川闘争
1956_1_2.jpg1955年から米軍・立川基地拡張に対する反対運動をしていた地元住民に対し、1956年10月12日と13日に強制測量が行なわれた為、地元反対住民の他、立川基地反対を叫ぶ労働組合や学生及び左翼勢力も加わり、5000人を超える大規模なデモが行なわれ、2000人を超える武装警官隊と衝突した。1956_1.jpg2日間合わせて1000人もの負傷者を出す事件となった事により、日本政府は一時測量中止を発表した。
翌年の1957年7月8日、一旦は中止していた測量を行なった事により、再び大規模なデモが行なれた。そして一部反対派勢力により、米軍基地滑走路北端付近の境界柵を破壊し侵入した為、日米安全保障条約に違反するとして基地内に立ち入った23人を逮捕、7人が起訴された。当時この事件を「砂川紛争」と呼んでいた。
その後も反対運動は続いたが、1969年に米軍が立川基地から撤退した事により、14年間続いた反対運動もやっと終息した。

出版社系初の週刊誌「週刊新潮」創刊
1956_2.jpg1956年2月19日、日本で出版社としては初の週刊誌『週刊新潮』が新潮社から創刊された。
それまでは新聞社による『サンデー毎日』『週刊朝日』が発刊されていたが、それらと異なる路線を目指し、新聞社が扱わないスキャンダルや時勢に力を入れ発行部数を伸ばしていった。
これに伴い、『週刊女性』『週刊現代』『週刊文春』など、続々と出版社系の週刊誌が発行された。それにより「週刊誌ブーム」が巻き起こり、週刊新潮はブームの立役者となった。

指人形劇『チロリン村とくるみの木』放送開始
1956_3.jpg1956年4月16日、NHKにより人形劇としては初の『チロリン村とくるみの木』が放送された。
劇団やまいも(現・劇団ちろりん)の指人形により、声優は黒柳徹子(ピーナッツのピー子役)、曽我町子 (ツボミのリップちゃん役:初代「おばQ」の声優)、高橋和枝 ((バナーナ夫人役:「サザエさん」カツオくんの声優)、藤村有弘 (オンマのホワイト役:「ひょっこりひょうたん島」ドン・ガバチョの声優)や一龍齋貞鳳、八波むと志、左卜全、由利徹など大物喜劇役者が声優として登場。放送後、当時のちびっ子の間で評判となり、やがてNHKの帯番組となり、金曜日(午後6時10分~40分)の週一回の放送だったが、1962年4月からは毎日(月曜日~金曜日午後5時40分~54分)放送に切り替わり人気番組となっていった。
1964年4月3日の放送分で最終回を迎えたが、その後に放送された『ひょっこりひょうたん島』や『プリンプリン物語』などの原型となった人形劇である

日本登山隊『マナスル』登頂に初成功1956_5.jpg
1956年5月9日、ヒマラヤ山脈マナスル(標高:8125m)に日本人としては初の登山に成功した。
日本山岳会の槙有恒会長率いる第3次マナスル登山隊の今西寿雄隊員とシェルパ(現地人登山ガイド)のギャルツェン・ノルプ氏の二人が頂上に立ち、日本国旗を掲揚。
引き続き11日には、加藤喜一郎隊員、日下田実隊員が第二次登頂に成功した。1956_5_2.jpg
このマナスル征服に対し、槙有恒隊長は「征服ではない。靴の下に頂上を踏んだだけ。大自然はわれわれが及びもつかないほど大きなものです。」と語った。
11月3日、郵政省は登山隊の初登頂を記念し「マナスル登頂記念切手」を発行した。

第1回中山グランプリ(現・有馬記念)開催1956_6.jpg
1956年12月23日、中山競馬場で第1回中山グランプリが 開催された。
中山競馬場は東京競馬場で開催されるレースに比べ冠たるレースが少なく、当時の日本中央競馬会理事長(有馬頼寧)が中山での大レースを計画。競馬ファンと親近感を持てるようにと、ファン投票により出走馬を選出するレース方式にした。
ファン投票では、キタノオー(3歳牡馬)が1番で選出されたが当日馬券では3番人気でのスタート。結果、馬券1番人気のメイヂヒカリ(4歳牡馬)に敗れたものの、2着と健闘した。
翌1957年1月9日、提唱者である有馬理事長が急逝した事により、数々の功績を称え、彼の名字を取り今後開催されるレースを「有馬記念」と名称を変更した。