団塊世代の想い出

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出来事

 主な出来事

「紫雲丸」沈没事件1955_2.jpg
1955年5月11日午前7時、四国と本州を結ぶ宇高連絡船「紫雲丸」が高松から宇野に向かう途中,大型貨車運航船「第3宇高丸」と衝突し、紫雲丸は僅か数分で沈没、108人の犠牲者を出してしまった。その内の108人は修学旅行で乗船した、小・中学校の生徒と先生などだった。
事故の原因は、視界150m以下の濃霧と紫雲丸船長の操作ミスと見られている。そしてレーダーや汽笛に頼りすぎ、不十分な見張で安全運行を怠っていたとされた。
沈没までの僅か数分間では、救命胴衣の着用や非常ボートを降ろすことも出来ず、泳げない女子生徒を中心に多くの犠牲者を出した1955_2_2.jpg
また船長は最後までブリッジに残り紫雲丸と運命を共にした。
紫雲丸は過去にも4回の事故を起こしており、船の名前「紫雲」は「臨終時に仏が乗って迎えに来る雲」という意味があり、就航時から「死運丸」と囁かれていた。今回の事故後、「瀬戸丸」と改称されて復旧し、1966年6月の廃船まで無事故で運行された。
また多数の児童が泳げずに溺死する事態だった事から、全国の小・中学校へのプールの設置と体育の授業における水泳の普及が進められるようになった。

55年体制の確立
1955_3.jpg1951年に右派社会党・左派社会党に分裂した社会党が、1955年10月13日、護憲と反安保を掲げ4年ぶりに統一、『日本社会党』として再発足した。
この日本社会党の統一に危機感を覚えた財界からの要請で、日本民主党と自由党が保守合同し、11月15日、『自由民主党』が誕生、保守第一政党となった。
それにより「改憲・保守・安保護持」を掲げる自由民主党と「護憲・革新・反安保」を掲げる日本社会党が二大政党として君臨、55年体制が確立した。

1955_1.jpg「後楽園ゆうえんち」開園
1955年7月9日、東京都文京区後楽に「後楽園ゆうえんち」が開園した。日本初のアメリカ式遊園地で、後楽園球場、後楽園プール、後楽園ローラースケート場に隣接する都市型遊園地となった。
施設内には日本初の本格的ジェットコースターが登場(大人・子供同一料金:40円)。最高時速60kmで全長550mを2分10秒で疾走した。これが評判となり若者達で賑わった。また、疾走するジェットコースターを見ようと、隣接する道路には見物人で溢れたという。

国産初のトランジスタラジオ発売
1956_55.jpg1955_63.jpgTR-63型ラジオ1955年8月7日、東京通信工業(現・ソニー)は、真空管に代わる国産初のトランジスタラジオ『TR-55』を発売した。5石トランジスタのスピーカー方式携帯型ラジオで単3乾電池4本を使用。そして初めて商標にSONYを採用した。しかし、価格が1万8900円と、まだまだ庶民が簡単に買える値段ではなかった。
その2ヶ月後、自分で組み立てるトランジスタラジオキット『TR-2K』を発売。イヤホーン専用タイプで小型軽量、価格も5700円と手軽ではあったが素人には少し組み立てが難しく不評に終わった。
そして1年半後の1957年3月1日、新商品『TR-63』を発売。初期型『TR-55』より小型化されポケットに入るタイプに改良、世界最小のトランジスタラジオとなった。価格も1万3800円と押さえられ、これが大ヒット。米国にも輸出され「世界のソニー」としての座を築いていった。

一円硬貨・五十円硬貨 発行
1955_5.jpg1955年6月1日、一円アルミ貨が発行された。
一円硬貨の表面には "日本国" と "一円" 及び "若木" の図案が、裏面には "1" と "製造年" がデザインされている。
純アルミニウム製 直径:20mm 重さ:1g

更に9月1日には五十円ニッケル貨が発行された。
五十円硬貨の表面には "日本国" と "五十円" 及び "菊" の図案が、裏面には "50" と "製造年" 及び "分銅" がデザインされている。
純ニッケル製でギザ付き 直径:25mm 重さ:5.5g