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ザ・ボルテイジ

ザ・ボルテイジの前身(バンド名不明)は、1967年3月、横浜の「バームス」にいた串田アキラ、鳥海敏雄、曽根譲二、そして札幌「ジャローズ」の金剛文裕と柴田こうじの5人によって結成された。初ステージは下関のジャズ喫茶だったが、7月から8月の二ヶ月間は沖縄に渡り米軍キャンプを中心に演奏活動の場を変えた。更に9月には横浜に戻り「ピーナッツ」で専属契約を結び演奏をしていたが、10月に入りヴォーカルの串田アキラが突然離脱。代わりのヴォーカルとして元ブルーインパルスの前身バンド"ザ・ダックス"にいたR&B色の強い橘洋介が参加した。
1967年10月、富士音楽企画に所属し " ザ・ボルテイジ " と改名。池袋・ジャズ喫茶「ドラム」に出演、 " ザ・ボルテイジ " として東京での初ステージを踏んだ。本格派R&Bのバンドとして同年6月ユニオン・レコードより「エミー・マイ・エミー」でレコード・デビューを果たす。
8月にはソウル・ヒット曲のカヴァーを収録したアルバム「R&B ビックヒットアルバム」をリリースしたが、生のステージ演奏のような迫力さに欠けた作品に仕上がってしまったのが残念である。秋からは「ジェット・ブラザース」の富永ジローが加入し、橘洋介とのツイン・ヴォーカルの編成となった。その後、11月にセカンド・シングル「トゥデイ」をリリース。翌年の1969年4月にサード・シングル「汐鳴りの幻想」をリリースしたが、民謡調な曲でヒットするまでには至らなかった。1969年後半はGSの衰退期の中、R&Bナンバーでディスコを中心に演奏をし人気も有り活躍していたが、同年10月、ファンとのアクシデントが表沙汰となり、解散に追い込まれていった。

 ※ The Voltage の日本語表記はファースト・シングル「エミー・マイ・エミー」のみ " ザ・ボルテイジ " と表記されていたが、
  以降発売の LP「R&B ビック・ヒット・アルバム」からは " ザ・ボルテージ " と表記が変わっていった。

__成 : 1967年03月 結成時グループ名 : 不明) ※1967年10月 ザ・ボルテイジに改名
デビュー : 1968年06月 (デビュー曲 : エミー・マイ・エミー)
__散 : 1969年10月 (最終公演 : 不明

ザ・ボルテイジ : メンバー

1967年10月 " ボルテイジ " 改名後メンバー
鳥海敏雄 : ベース
曽根譲二 : キーボード
柴田こうじ: ギター
金剛文裕 : ドラムス、ヴォーカル
橘 洋介 : ヴォーカル
富永ジロー: ヴォーカル(1968年秋 参加)

初期メンバー (バンド名は不明) ※1967年3月〜1967年10月
鳥海敏雄 : ベース
曽根譲二 : キーボード
柴田こうじ: ギター
金剛文裕 : ドラムス、ヴォーカル
串田アキラ: ヴォーカル (1967年10月離脱)
橘 洋介 : ヴォーカル (1967年10月参加)
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シングル・リリース

エミー・マイ・エミー/シェイキン・マイ・ソウル('68年6月)
トゥデイ/ナンシー・アイ・ラヴ('68年11月)
汐鳴りの幻想/君を見つめて('69年4月)

アルバム・リリース

R&B ビック・ヒット・アルバム ('68年8月)
※他、コンパクト盤(17cm LP)1枚リリース

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プロフィール・そしてその後は?

橘 洋介 (本名 : 蛎崎広征) 北海道・函館生まれ
ボルテイジ解散後は、ソロ歌手として、また作曲家としても活動。その後、RVCレコードでディレクターを務め、一時期は近藤真彦、石川秀美らを担当した。

富永ジロー (本名 : 富永正広) 香川・高松市生まれ
1968年秋に "ジェット・ブラザーズ" を離脱しボルテイジに参加。1973 年にロック・バンド "ハリマオ" を結成。TBS「銀座NOW」にレギュラーバンドとして出演。そして同番組のテーマ曲は彼による作曲だ。また、エリック・クラプトンやスージー・クアトロの来日コンサートでも前座を務めた事もある人気バンドだった。 ハリマオ解散はソロシンガーとして活動。2005年にハリマオを再結成し、現在もヴォーカルとして活躍中。

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