http://dankaisedai.co-suite.jp/concert/gs_concert.html

ザ・テンプターズ

ザ・テンプターズは、1965年7月、大宮西高校の田中俊夫がアマチュアバンドとして演奏していた所を偶然に幼なじみの松崎由治が知り、即日メンバーに加わった。バンドには既に高久昇も参加しており、この時のバンド名 "テンプターズ" は、映画音楽の「太陽の惑星」にちなみ命名されたという。同年秋、大宮西高校の文化祭に出演し、ギター名手であるペリー・ボトキンの ”殺し屋のテーマ” を披露し大喝采を浴び、徐々にその才能を開花させていった。1966年3月からは大宮のディスコ " 大蔵 " の専属バンドとなりセミ・プロとしての活動を開始。そして、その頃よく此所に遊びに来ていたまだ中学生だった萩原健一がヴォーカルとして参加、着々とデビューメンバーが揃い出した。同年10月からは、東京・恵比寿の "ディスコテーク" にと活動の場所を移し活躍していた。1967年2月には弟バンドの "ジュニア・テンプターズ" の大口広司も参加、デビューメンバー全てが揃った。その後、 "ディスコテーク恵比寿店" から新宿店、有楽町店へと場所を移し、彼らの人気も急上昇。その評判を聞きつけた田邊昭知のスパイダクション(現、田辺エージェンシー)にスカウトされ、1967年5月には池袋 "ドラム" に初登場した。更に、6月には朝の人気番組「ヤング720」にTV 初出演、同年8月に行われた日劇ウエスタンカーニバルにも出場し着々と人気を得ていった。
1967年10月にフィリップス・レコードから「忘れ得ぬ君」でレコード・デビューを果たす。萩原健一は、ショーケンの愛称で親しまれ、女子高生を中心に人気を得ていたが、次第に男子高生までファン層を広げて、一時期プロマイドの売り上げもザ・タイガースを抜き1位になった事もある程、スーパーアイドルにと登り詰めて行った。「神様お願い」(オリコン2位)「エメラルドの伝説」(オリコン1位)と次々と大ヒット曲を生み出し、その人気はザ・タイガースと共にグループサウンズの黄金期を支え、人気を二分するまでに至った。数々のヒット曲を送り出したザ・テンプターズではあったが、GSブームも周到を迎え、1970年12月末に、サンケイホールの小ホールでの公演が最後となった。ザ・タイガースのような華々しい "解散コンサート" も催さず、寂しくその幕を閉じていった。

__成 : 1965年07月 (結成時グループ名 : 同じ)
デビュー : 1967年10月 (デビュー曲 : 忘れ得ぬ君)
__散 : 1970年12月 (解散コンサート : 無し / 最終公演 : サンケイホール

ザ・テンプターズ : メンバー

松崎由治 : リードギター、ヴォーカル
萩原健一 : ヴォーカル、ハーモニカ
田中俊夫 : サイドギター、キーボード
高久 昇 : ベース
大口広司 : ドラムス

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シングル・リリース

忘れ得ぬ君('67年10月)※Vocal:松崎由治
神様お願い('68年3月)※Vocal:萩原健一
エメラルドの伝説'68年6月)※Vocal:萩原健一
おかあさん('68年9月)※Vocal:松崎由治
純愛('68年12月)※Vocal:萩原健一
雨よふらないで('69年3月)※Vocal:萩原健一
帰らなかったケーン('69年7月)※Vocal:萩原健一
エブリバディ・ニーズ・サムバディ('69年11月)※Vocal:萩原健一
愛の終り('69年12月)※Vocal:萩原健一
復活('70年3月)※Vocal:萩原健一
出来るかい?出来るかい?('70年6月)※Vocal:萩原健一
若者よ愛を忘れるな('70年10月)※Vocal:松崎由治
※全12枚リリース
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アルバム・リリース

ザ・テンプターズ・ファースト・アルバム ('68年6月)
5-1=0/ザ・テンプターズの世界 ('69年2月)
ザ・テンプターズ・オン・ステージ ('69年7月)
ザ・テンプターズ・イン・メンフィス ('69年12月)
ザ・テンプターズ・ゴールデン・アルバム ('70年6月)
ザ・テンプターズ・アンコール ('71年1月)

※全6枚 他、コンパクト盤(17cm LP)1枚リリース

LinkIconアルバム・リリース全曲収録リストはこちらをクリック

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主な出演

テレビ
1967年04月〜00日 フジテレビ 「若さで歌おう ヤァヤァヤング !」 ※ゲスト出演
1967年06月13日〜 TBSテレビ 「ヤング720」 ※準レギュラー出演
1968年10月06日〜 日本テレビ 「爆笑ヤングポップス」 ※レギュラー出演
1968年10月〜00日 フジテレビ 「レッツゴー! ヤングサウンズ」 ※ゲスト出演
映 画
1967年10月 松竹 「濡れた逢引き」 ※田辺昭知・加賀まり子 主演
1968年02月 日活 「星影の波止場」 ※浜田光夫・和泉雅子 主演 ザ・モップス演奏出演
1968年03月 東宝 ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを ※堺正章 ゲスト出演
※青字はテンプターズ主演作品

テンプターズ解散後の音楽活動

松崎由治東京キッドブラザース専属バンド「高久昇とエクソダス」結成に参加、及び作曲家
萩原健一ロックバンド「P Y G」結成に参加 LinkIconP Y G
田中俊夫芸能界から引退
高久 昇東京キッドブラザース専属バンド「高久昇とエクソダス」結成
大口広司ロックバンド「P Y G」結成に参加 LinkIconP Y G

プロフィール・そしてその後は?

松崎由治 (本名 : 同じ) 1948年4月16日/埼玉・大宮市生まれ
愛称:ヨッチン(リーダー)
松崎由治テンプターズ解散後は、高久昇と共に「高久昇とエクソダス」の結成に参加、東京キッドブラザースの専属バンドとして活躍。そして、「東京キッドブラザース」の音楽監督を務めるなど活躍していたが、その後に芸能界から引退。地元の大宮にて飲食店を経営した。

萩原健一 (本名 : 萩原敬三) 1950年7月26日/埼玉・与野市生まれ
愛称:ショーケン
萩原健一テンプターズ解散後は" P Y G " に参加。その後、映画監督を志し1972年製作の松竹映画『約束』に助監督として参加するも、急遽代役として演技する。これを機に本格的に俳優へと転身した。TVドラマ『太陽にほえろ!』ではマカロニ役で大ブレークする。『傷だらけの天使』『前略おふくろ様』と次々と名演技を披露し世間の知名度は増していった。一時期、活動を休止していたが、2008年、自叙伝『ショーケン』を出版し復帰する。2009年、映画『TAJOMARU』の将軍(足利義政)役で日本映画批評家大賞、審査員特別男優賞を受賞。
2010年9月20日、中山秀征MCの日本テレビ「DON!」にゲスト出演。以前と比べ、ややふっくらとした面影だった。同年9月24日、横浜関内ホールを皮切りに、名古屋・大阪・東京と「萩原健一 トーク&ミニライブⅡ ANGEL or DEVIL あなたと一緒にいたい」を開催。
2013年7月1日、萩原健一オフィシャルファンクラブ "SHOKEN TRAIN" をスタート。新規会員の募集を開始した。

田中俊夫 (本名 : 同じ) 1947年11月6日/埼玉・大宮市生まれ
愛称:ブル
田中俊夫テンプターズ解散後は芸能界から引退し、飲食店経営を手掛ける。
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1997年、白血病により永眠(享年49)

高久 昇 (本名 : 同じ) 1948年5月5日/埼玉・大宮市生まれ
愛称:ノボル
高久 昇テンプターズ解散後は、松崎由治と共に「高久昇とエクソダス」を結成し、東京キッドブラザースの専属バンドとして活躍。その後、芸能界から引退しインテリア・デザイナーに転身。

大口広司 (本名 : 同じ) 1950年11月28日/埼玉・大宮市生まれ
愛称:ヒロシ
大口広司テンプターズ解散後は萩原健一と共に" P Y G " に参加。1971年9月に "PYG" を脱退し内田裕也のツアーに参加した。1972年には元GS "ザ・リード" のアラン・メリルと "ウォッカコリンズ" を結成しバンド活動を続ける。その後『時間ですよ』で俳優デビューする。1983年に女優 ”真行寺君枝”と結婚。2004年、ドラマ『向田邦子の恋文』の準主役に抜擢され、俳優としてその地位を確保していった。翌年の2005年には真行寺君枝と離婚し、長年の友と再婚する。闘病生活の中、2008年12月に趣味で描いた絵画の展覧会を開催した。
2009年1月25日、肝臓がんにより永眠 (享年58)

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