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アウト・キャスト

アウト・キャストは、東京で活躍していた渡辺プロ所属バンド "ブルー・エース" の水谷淳と大野良治に、轟健二、中沢啓光、穂口雄右、片桐周一の6名で1966年春に結成されたが、デビュー前に片桐周一が離脱する。代わりに藤田浩一が参加。結成からレコード・デビューまでには時間が掛かってしまったが、翌年の1967年1月25日「友達になろう」でレコード・デビューを果たした。デビュー間もない夏から秋にかけて、メンバーも2名が抜け、1967年秋には4名での活動となってしまった。ギターテクニックだけでは生存出来ぬ世界ゆえなのか、はたまた事務所の都合なのか、GSとしては黄金期の1968年3月に解散してしまった。最後まで残った大野良二に "トニー谷"の次男である谷かつみら4名を加えて同年4月1日には再結成するもシングル「空に書いたラブレター」1曲だけのリリースとなり1969年には解散に追い込まれていった。また、離脱した水谷淳と轟健二は「アダムス」、藤田浩一は「ラヴ」を結成し、GSとしての再起を図った。
アウト・キャストは、実力が有るだけでは人気に恵まれなかったグループの代表格ではなかっただろうか。

__成 : 1966年1 (結成時グループ名 : 同じ)
デビュー : 1967年1月 (デビュー曲 : 友達になろう)
__散 : 1968年3月 (最終公演 : 不明) ※同年4月再結成するも1969年解散

アウト・キャスト : メンバー

水谷 淳 : リードギター
大野良二 : ベース
轟 健二 : ヴォーカル、フルート
藤田浩一 : サイドギター (1967年夏離脱)
穂口雄右 : キーボード (1967年秋離脱)
中沢啓光 : ドラムス
※1968年4月再結成後メンバー
大野良二 : ベース
岡本 修 : ヴォーカル
谷かつみ : ギター
菅野吉治 : キーボード
朝倉幸夫 : ドラムス

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シングル・リリース

友達になろう/気ままなシェリー(1967年1月)
愛することは誰でもできる/電話でいいから(1967年4月)
レッツ・ゴー・オン・ビーチ/エンピツが一本(1967年7月)
一日だけの恋/僕のそばから(1967年10月)
愛なき夜明け/ふたりの秘密(1968年1月)
1968年4月再結成後リリース曲
空に書いたラブレター/君を慕いて('68年6月)

アルバム・リリース

君も僕も友達になろう('67年11月)
※他、コンパクト盤(17cm lp)1枚リリース
LinkIconアルバム・リリース全曲収録リストはこちらをクリック

バッキング・シングル

小畑ミキ・リリース
ジェーン・ジェーン/ハイ・ミスター('67年7月)※演奏&コーラス

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主な出演

テレビ
1967年2月17日~ TBSテレビ 「ヤング720」 ※準レギュラー出演
映 画
1967年09月 日活 「喜劇・大風呂敷」 ※藤田まこと・田中邦衛 主演
1967年10月 東宝 「クレージーの怪盗ジバコ」※クレージーキャッツ 主演

アウト・キャスト解散後の音楽活動

水谷 淳GS「アダムス」結成に参加→ ギタリストとしてセッション・バンドに参加 LinkIconアダムス
大野良二新生「アウトキャスト」再興→ レコーディング・ディレクター
轟 健二GS「アダムス」結成に参加→ 音楽プロデューサーLinkIconアダムス
藤田浩一GS「ザ・ラヴ」結成に参加→ 音楽プロデューサーLinkIconザ・ラヴ
穂口雄右バンド「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」に参加→ 作曲・編曲家
中沢啓光邦楽打楽器奏者

プロフィール・そしてその後は?

水谷 淳 (本名 : 水谷公生) 1947年6月17日/東京・町田市生まれ
水谷 淳高校時代、アマチュアバンド "ブルーボーイズ" でバンド活動を開始。その後プロに転向、渡辺プロ所属エレキ・バンド "ブルー・エース"でリズムギターを担当していた。
アウトキャスト解散後、轟健二と共に "アダムス" を結成。その後、ジャズ・ミュージシャンである市原宏祐率いるセッション・バンド "LOVE LIVE LIFE" に参加。更に、"ピープル" 、"水谷公生&トライブ" と経て、スタジオミュージシャンとして、また作曲家としても活躍した。2003年には、元 "フローラル" 柳田ヒロとのデュオ・ユニット "MA-YA" を結成。現在は、浜田省吾の音楽パートナーとして、音楽制作チーム "Fairlife" のサウンド・プロデューサーである。

大野良二 (本名 : 大野良治) 1948年2月12日生まれ
大野良二エレキ・バンド "ブルー・エース" から水谷淳と共にアウトキャスト結成に参加。解散後の1968年4月、新メンバーで "新生アウトキャスト" を再興し、「空に書いたラブレター」をリリースしたもののヒットには結びつかず、翌年の1969年に活動停止した。その後、レコーディング・ディレクターとして活動。

轟 健二 (本名 : 松崎澄夫) 1948年3月20日/東京・渋谷生まれ
轟 健二アウトキャスト解散後、水谷淳と共に "アダムス" を結成。その後は、"キャンディーズ" の音楽プロデューサーなども務め、1988年5月(株)パブリッシャーハウスアミューズ(現・(株)アミューズ)入社。2005年4月に代表取締役社長に就任する。2007年6月、取締役副会長になり現在は引退。
その後、同氏が育てたビギンの地元石垣島の焼酎を販売する会社とプロデュース会社を設立、現在も継続中。最近では、ベーシストの大野良二さん、元アイドルスの田中光男さん、元寺内タケシとブルージーンズ(第三期)のドラマー山本進一さんと銀座のライブハウスでオールディズのバンドを趣味で結成し活動しているそうです。

藤田浩一 (本名 : 同じ) 1947年3月21日生まれ
アウト・キャスト 1967年夏にアウトキャストを離脱し、1年間充電した後の1968年9月に、"ザ・ラブ" を結成するが、約1年間活動した後に解散した。その後は、音楽プロデューサーとして活動。後に『トライアングルプロダクション』を設立。 " オメガトライブ " のプロデュースを手掛けたり、菊池桃子のプロデューサーとしても活躍した。

2009年10月11日、永眠(享年62)

穂口雄右 (本名 : 同じ) 1948年1月24日/東京都生まれ
穂口雄右 "嶺のぼるとジャニーズ・ジュニア" のメンバーとして ジャニーズ" のバックバンドを務めていた。1967年秋、アウトキャスト離脱後、"津々美洋とオールスターズ・ワゴン" に参加したが、後に編曲家に転向、また作曲家としての活動も開始した。キャンディーズの『春一番』は、彼の作詞/作曲/編曲による代表作であり、キャンディーズのヒット曲の多くを彼が手掛けた。現在は、日本作詞作曲家協会理事、株式会社アムバックス音楽出版代表取締役、株式会社アムバックス・エディケイト代表取締役会長。

中沢啓光 (本名 : 西川啓光) 1948年3月19日/東京都生まれ
中沢啓光アウトキャスト解散後、邦楽打楽器奏者に転向。現在、西川啓光和太鼓グルーブ「鼓友会」主宰し、洗足学園音楽大学では現代邦楽の講師を務めている。

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