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レオ・ビーツ

プロダクションの都合により、メンバーチェンジを繰り返しながら改名していった
ルートNO.1/里見洋と一番星

レオ・ビーツは、九州・博多で活躍していた "里見洋とロス・カンターノス" が前身である。市内のジャズ喫茶やナイト・クラブで活動していたところを、渡辺プロにスカウトされた。リードギターに古賀修を加えて1967年7月末に上京。プロデビューするにあたりグループ名を、福岡の西武ライオンズにちなみ "レオ・ビーツ" と命名された。1967年8月15日には新宿 "B&B" で上京後初ステージを踏む。"ラテン・ロック" を売り物とするGSとして登場。同年11月10日「霧の中のマリアンヌ」でレコード・デビューを果たす。この曲はチャート入りする事もなく、第二弾「貴族の恋」をリリースしたが、これもヒットには結びつかなかった。レコード自体は芳しくなかったが、彼等の実力が買われ、木の実ナナ、奥村チヨやザ・ピーナッツなどの有名歌手のバック・バンドとして活躍していた。1968年8月にはポップス寄りからラテン歌謡に軌道修正し「別れの歌」を発表したが、うまくいかず、1970年「ルートNO.1」と改名し再スタートし再起を図ったものの、シングル3枚をリリースして終わってしまった。その後、再編しボーカルに元ヤンガーズの窪孝や元アダムスの土谷守らを加え「里見洋と一番星」と再々改名していったが、1973年、渡辺プロとの契約が打ち切りとなった為に解散に追い込まれてしまう。1974年の春、残ったメンバー、古賀義弥(旧芸名:古賀修)中野健二、東信行の3名に田村実を加えて「ブルージャッカス」を結成した。1977年解散。これほど、デビューから解散までメンバーチェンジや改名を繰り返したグループは他に例が無いであろう。

__成 : 1966年0?月0結成時グループ名 : 里見洋とロス・カンターノス) ※1967年8月 レオ・ビーツに改名
デビュー : 1967年11月0(デビュー曲 : 霧の中のマリアンヌ)
 ※1970年1月 ルートNO.1に改名
 ※1971年6月 里見洋と一番星に改名
 ※1974年 ブルー・ジャッカスに改名
__散 : 1 977年0?月0(最終公演 : 不明 / 自然消滅)

レオ・ビーツ : メンバー

里見 洋 : パーカッション、フルート
西 信行 : ヴォーカル、キーボード
中村伸次 : ドラムス
古賀 修 : リードギター
東 信行 : コンガ、タンバリン
中野健二 : ベース

シングル・リリース

霧の中のマリアンヌ/恋に生きる('67年11月)
貴族の恋/あなたの影('68年3月)
別れの歌/哀愁のシルバーレイン('68年8月)
君に幸せを/許しておくれ('69年2月)
※アルバム・リリース無し

バッキング・LP

木の実ナナ・リリース
レッツ・ゴー・ナナ('68年5月)※演奏&コーラス
平尾昌晃・リリース
愛を求めて('68年5月)※演奏

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主な出演

テレビ
1967年11月9日 ~ TBSテレビ 「ヤング720」 ※準レギュラー出演
映画
1969年4月 東宝「二人の恋人」※演奏曲「あなたの影」

ルートNO.1 : メンバー

里見 洋 : パーカッション、フルート
西 信行 : リードヴォーカル、キーボード
中村伸次 : ドラムス
古賀 修 : リードギター
東 信行 : コンガ、タンバリン
中野健二 : ベース
※レオ・ビーツのメンバーに女性ヴォーカル3名が加わり結成された。
マーガレット・スー : ヴォーカル (元スクール・メイツ)
中村知子 : ヴォーカル (元スクール・メイツ)
吉沼満子 : ヴォーカル (元スクール・メイツ)

シングル・リリース

恋の手ほどき/君はわが胸に('70年2月)
大学唄い込み/大学ノート・サンバ('70年6月)
恋の246/愛の世界に旅立つ二人('70年7月)
※アルバム・リリース無し

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里見洋と一番星 :メンバー

里見 洋 : パーカッション、フルート
古賀 修 : リードギター
東 信行 : ドラムス
中野健二 : ベース
絵川たかし: リードヴォーカル (元ザ・ヤンガーズの窪 孝)
土屋 守 : キーボード (元アダムス)

シングル・リリース

新盛り場ブルース/慕情~天草の女~('71年6月)
ミツコの運命/はぐれ花('71年10月)
明日へ走る/おとなの子守唄('72年3月)
女ひとり宿場町/君を捨てて('73年1月)
※アルバム・リリース無し

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ブルー・ジャッカス : メンバー

古賀義弥 : リードギター (旧名 : 古賀 修)
中野健二 : ベース
東 信行 : ドラムス
田村 実 : フルート

シングル・リリース

理想の女/愛は一度だけ('74年)

※アルバム・リリース無し

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理想の女

プロフィール・そしてその後は?

古賀 修 (本名:古賀義弥) 1943年12月8日/福岡・福岡市生まれ
GS_notimage01.jpgレオ・ビーツから、最後のブルー・ジャッカスまで参加していたが、解散後は作曲・編曲、ボイストレーナーとして本格的な活動に入る。日本テレビ音楽学院の講師も務めていた。

絵川たかし
窪 孝大阪では有名な"グランプリ"(和田アキ子・夏夕介がいたバンド)に所属。"ザ・ヤンガーズ" にスカウトされ上京。ヤンガーズ時代は「窪 孝」名義にてアイドル的存在で活躍。
ヤンガーズ解散後に絵川たかしと改名し "里見洋と一番星" に参加した。解散後は長い期間 "和田弘とマヒナスターズ" に参加していたが脱退し、池袋・ナイトクラブのオーナーとなる。事業に成功し多くの飲食店を経営。伊豆・下田に豪華な別荘を2軒持つほど大実業家として大成していたが、バブルの弾けた2000年頃、不景気の煽りを受け事業から次々と撤退していった。

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