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寺内タケシとバニーズ

バニーズは1966年3月に "寺内タケシとブルージーンズ" を一旦退いた寺内タケシにより結成された。横浜で活躍していたアマチュアバンドの中からメンバーを集め同年6月に結成。2ヶ月余りの特訓を経て、9月には最初のアルバム「バニーズ誕生!」のレコーディングをするまでに成長していった。同年12月1日「テリーのテーマ」でレコード・デビュー。1967年3月、4枚目のシングル「レッツ・ゴー・シェイク」が大ヒット。さらに同年12月には「レッツゴー運命」で日本レコード大賞編曲賞を受賞した。1968年1月には、杉並公会堂でワンマン・コンサートを開催。この年には、NTV「プラチナ・ゴールデン・ショー」や東京12チャンネル「R&B 天国」のレギュラーとしてTV出演をして活躍した。「悪魔のベビー」「愛のリメンバー」「太陽野郎」など数々のヒットを生み出し、結成2周年を迎えた1968年9月には、荻野達也にグループを託し「荻野達也とバニーズ」と改名した。以降、寺内タケシはゲスト参加という形で彼らをバックアップしていたが、1969年の春、荻野達也との確執から不仲になり、「荻野達也とバニーズ」は寺内タケシと離れ、完全に独立し活動を続けていたが、GSブームも去った1971年10月にリリースした「北風」を最後に解散した。

__成 : 1966年06 (結成時グループ名 : 同じ)
デビュー : 1966年12月 (デビュー曲 : テリーのテーマ)
__散 : 1969年00 (最終公演 : 不明)
 ※『荻野達也とバニーズ』にて再結成するも1971年冬に解散

寺内タケシとバニーズ : メンバー

寺内タケシ: リードギター
荻野達也 : キーボード
井上 正 : ドラムス、ヴォーカル
黒沢 博 : サイドギター、ヴォーカル
小野 肇 : ベース
輿石秀之 : サイドギター、ヴォーカル
__________('67年脱退)
鈴木義之 : サイドギター、ヴォーカル
__________('67年参加)

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シングル・リリース

主なヒット曲
テリーのテーマ('66年12月)※デビュー曲
悪魔のベビー('67年8月
運命('67年10月
太陽野郎('67年11月
※他、全13枚リリース (寺内タケシとバニーズ名義分)
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アルバム・リリース

バニーズ誕生! レッツゴー寺内タケシ ('66年12月)
※他、全7枚 コンパクト盤(17cm LP)6枚リリース
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バッキング・シングル

西川一也・リリース
恋愛旋風('66年12月)※演奏
マーガレット(マーガレット・リー・バレット)・リリース
遊びにきてね/バラ色の妖精('68年1月※演奏
逢えば好き好き/幸福('68年5月)※演奏

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「荻野達也とバニーズ」に改名後のメンバー

荻野達也 : キーボード
井上  : ドラムス、ヴォーカル
黒沢  : リードギター、ヴォーカル
小野  : ベースギター('69年脱退)
鈴木義之 : サイドギター → ベースギター、ヴォーカル
栗山  : リードギター('70年参加)

「荻野達也とバニーズ」に改名後のシングル・リリース

東京のサンセット/炎の恋('68年9月)
たそがれ/淋しそうな少女('69年1月)
ウスクダラ/黒い瞳('69年3月)※インストゥルメンタル
ブルースター/アンチェインドメロディ('69年5月)※インストゥルメンタル
金色のほほ/青春は甘く悲しく('70年3月)
双子座の奇蹟/運命('70年10月)
悲しき雨音/思い出は涙だけ('71年3月)
北風(英語詩)/アイ・ビリーヴ('71年10月)

アルバム・リリース

北風/バニーズの世界 ('71年10月)
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主な出演

テレビ
1967年2月3日~0TBSテレビ 「ヤング720」 ※準レギュラー出演
1968年~00月0日日本テレビ 「プラチナゴールデンショー」 ※レギュラー出演
1968年10月~0日本テレビ 「爆笑ヤングポップス」 ※ゲスト出演
1968年10月~0フジテレビ 「レッツゴー! ヤングサウンズ」 ※ゲスト出演
映 画
1968年4月0松竹 「夜明けの二人」 ※橋幸夫・黛ジュン 主演

プロフィール・そしてその後は?

寺内タケシ (本名 : 寺内武 ) 1939年1月17日/茨城・土浦市生まれ (リーダー)
寺内タケシ幼少の頃から音楽の才能を発揮し、高校時代には自らマンドリン・クラブを創設し、NHK全国楽器コンテストで3連覇を成し遂げた程の腕の持ち主だった。大学時代は米軍キャンプで演奏を行っていたが、ミッキー・カーチスのバンド「クレージー・ウエス」に参加。そして「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」を経て、1962年8月「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。(当時のメンバーには内田裕也や加瀬邦彦が在籍)その後、渡辺プロダクションとの確執などでブルージーンズを離脱し、自ら運営する「寺内企画」を立ち上げ、「寺内タケシとバニーズ」を結成した。バニーズ解散後の1970年 "ブルージーンズ" を再結成させる。1976年、寺内タケシの大フアンである白血病の少女(8才)の為にソ連ツアーを決行し大成功を収めた。再び、1981年、1984年とソ連ツアーを行い、この功績が認められ、日本国際連合協会から表彰された。また、2004年には文化庁より長官表彰を受けている。

荻野達也 1945年7月18日生まれ
荻野達也寺内タケシ脱退後の1969年、バニーズを引き継ぎ『荻野達也とバニーズ』と改名。解散後は、GS路線から離れた歌謡ポップグループ『荻野達也とフーリンカザン』 を立ち上げた。
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2013年4月24日、永眠(享年68)

黒沢 博 (本名 同じ ) 1948年10月18日/神奈川・横浜市生まれ
黒沢 博黒沢年雄の実弟。1982年 ”ヒロシ&キーボー”としてリリースした「3年目の浮気」が大ヒットし「日本有線大賞 最優秀新人賞」を受賞。その後「5年目の破局」「7年目の洒落」とリリースするもヒットには結びつかなかった。
2012年1月2日に開催された「2012新春!グループサウンズ GOLDEN CONCERT ~これがGSだ!~」に出演。

輿石秀之(本名 : 同じ) 1946年11月20日/神奈川県生まれ
輿石秀之バニーズ脱退後の1967年6月に、"ジ・エドワーズ" を結成。その後、「FM東京」にてDJを務め、”大石吾朗”名義で、タレント・俳優業として現在も活躍中。

鈴木義之 (本名 : 同じ) 1946年10月26日/神奈川・相模原市生まれ
鈴木義之バニーズ解散後、渡米して音楽を勉強。帰国後は作曲家として独立し、CMソングにて活躍。『お湯をかける少女(ハウス食品)ククレカレーハウス食品)』『なみだロート(ロート製薬)』『ポッキー(グリコ)』などの楽曲を提供した。現在は、御自身が主催する "SUZUKI BAND" にてライブ活動を再開している。

2012年5月24日深夜(死亡推定時刻 午前0時頃)肝不全により東京都内の自宅で死去。(享年65)

井上 正 (本名 : 同じ) 1947年10月23日/神奈川・横浜市生まれ
井上 正父は尺八奏者という家系に生まれ、13才にて「琴古流尺八」に入門。1966年、弱冠19才にて日本では最年少の師範免許をも取得をした。同年「寺内タケシとバニーズ」に参加。演奏の中で尺八を披露する事もあった。バニーズ解散後は、渡米。地元アーティストと共演しライブ活動をしながら感性を磨き上げていった。帰国後は「東京ユニオンオーケストラ」に参加しながら、CMソング・TV主題歌などの活動を行った。その後、ロックに尺八を取り入れた新たな取り組みに挑戦し。自らバンドも結成するなど精力的に活動した。1999年ガンに侵されるも奇跡的に回復。その後、再発、入退院を繰り返しながら音楽の世界で活躍。2000年、40周年記念CD「祈り」「夢千里」を限定版で発表した。
※バニーズ解散後は、井上真愛久(或はマーク井上)名義で活動
2010年9月23日、永眠(享年62)

小野 肇 1945年9月1日生まれ
小野 肇「デンジャーズ」で共に活動していた滝イサオと "4・9・1" の結成へ参加したが、レコードデビュー前に離脱し「寺内タケシとバニーズ」に移籍した。バニーズ解散後は不明。

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