http://dankaisedai.co-suite.jp/concert/gs_concert.html

ザ・バロンは、尾藤イサオのバックを務めていた "ブルー・コメッツ" の後釜グループとして1967年に結成され、同年4月に新宿ACBにて初ステージを踏んだ。
翌年の1968年にはドラムの佐々木香児が離脱した為、代わりに元 "ブルー・ファイア" の宗台春男がドラマーとして参加。
1969年6月、ゲストシンガーとして迎え入れたジュリーこと鍵山珠里と、シングル「ブルー・ロンサム・ドリーム」を東芝音工よりリリース。
この楽曲は、まだ無名時代の阿木耀子と宇崎竜童により提供された処女作品だったが、残念ながらヒットするまでには至らなかった。
そして、リリース直後にジュリーこと鍵山珠里が離脱した為、ザ・バロンは単独行動となってしまったが、1970年1月からNHKで放送された『テ-ジ101』のレギューラーとなり活躍。
同年11月に彼ら初の単独シングル「恋の億万長者」をリリースした。
その後、メンバーの河内広明と若子内悦郎の2人が "ワカ&ヒロ" としてステージに上がる事が多くなり、ザ・バロンとしての活動は自然に消滅していった。

__成 :1967年2月結成時グループ名 :同じ)
デビュー :1969年6月(デビュー曲 :ブルー・ロンサム・ドリーム)※ジュリーとバロン 名義
__散 :1972年?月(最終演奏 : 不明/自然消滅

ザ・バロン:メンバー

清洲邦義 : リードギター、ヴォーカル リーダー
河内広明 : サイドギター、ヴォーカル
若小内悦郎: ベース、ヴォーカル
佐々木香児: ドラムス(1968年8月、脱退)
宗台春男 : ドラムス(1968年9月、加入)

ジュリー
鍵山珠里 : ヴォーカル

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シングル・リリース

ブルー・ロンサム・ドリーム/ 涙で書きたい('69年6月)
恋の億万長者/コンドルは飛んで行く('70年11月)

※アルバム・リリース無し

主な出演

テレビ
1970年1月~ NHK総合 「ステ-ジ101」 ※レギュラー出演
映 画
1968年9月公開 日活 「禁断の果実」

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プロフィール・そしてその後は?

清須邦義(きよす くによし 本名:同じ)1948年1月26日/神奈川・川崎市生まれ 
リーダー
元"麻生京子とブルー・ファイア" に在籍。ザ・バロン脱退後はスタジオ・ミュージシャンとして活躍。
一時期、松山千春のバックバンドとして活動。
その後、ギターワークショップを主宰し次世代のシンガーソングライターを育成する。

河内広明(本名:芹澤廣明)1948年1月3日/横浜・港北区生まれ
若子内悦郎と2人で「ワカとヒロ」を結成、1975年まで活動。その後、作曲家、プロデューサーとして活躍。
中森明菜の「少女A」や、チェッカーズ「ギザギザハートの子守り歌」など芹澤廣明名義で作曲を手掛け、その名を知られるようになった。

若子内悦郎(わかこない えつろう 本名:同じ)1949年3月30日/東京・港区生まれ
河内広明と2人で「ワカとヒロ」を結成、1975年まで活動。その後、ソロ・シンガーとして活躍。

佐々木香児(本名:同じ)
ザ・バロン脱退後は写真家として活動。広告カメラマンとしてファッション関係や自動車関連の撮影をしている。
また、仕事の合間にジャズ・ドラマーとしてライブハウス等で演奏もしているようだ。

宗台春男( 本名:同じ)1948年1月9日生まれ
"清原たけしとフリーランサーズ" を経て "フランツ・フリーデルとブルー・ファイア" に参加。1968年9月、ザ・バロンに参加する。その後、"稲垣次郎とソウル・メディア"、"上田力とソウル・バスケット" を経て、スタジオ・ミュージシャンとして活躍。

2005年3月8日、永眠(享年57)