洋楽フォークソング加山雄三

PYG

PYG(ピッグ)は、1971年1月24日、武道館で開催された「ザ・タイガース解散コンサート」直後の翌月、2月1日に正式デビューした。
GS界のスーパースターだった沢田研二と萩原健一のツインヴォーカルに加え、GS時代に人気を博したザ・タイガースからはリーダーの岸部修三、ザ・テンプターズの大口広司、そしてザ・スパイダースから井上堯之と大野克夫のメンバーが参加した。
脱GS路線を掲げ、ロックバンドとして旗揚げしたグループだが、元GSのメンバー構成やアイドルスターの参加だった事などによりロックファンからは受け入れて貰えず、同年3月に京大講堂で催されたロック・フェスティバル 『第1回 MOJO WEST』では観客から猛烈な罵声を浴びるという散々たる初ライブとなってしまった。更に4月の『日比谷ロック・フェスティバル』でも拒否反応を顕にした観客により罵声や物を投げ入れられる騒動となる中での苦しい演奏だった。(但し、他のバンドにも元GSのメンバーが在籍していたのだが、なぜかPYGだけが拒絶されてしまったのだ。)
また、PYGのコンサートではジュリーファンとショーケンファンとの対立が顕れ、演奏中に互いのファンが邪魔をするなど険悪な空気の中でのコンサートが多々見られ、トップスター同士のコラボでは成功が難しいというものが顕著に現れてしまった。
PYGとして初のレコードは、同メンバーの岸部修三が作詞、井上堯之の作曲によるシングル『花・太陽・雨』で4月10日にリリースされ、8月10日にはファースト・アルバム『PYG!』がリリースされた。
一方、沢田研二は1971年11月にPYGとして活動する傍らソロ歌手としてもデビュー。また、萩原健一も1972年7月にシングルをリリースし、同月には『太陽にほえろ!』で役者として活動を開始した。それにより二人が徐々にコンサートに参加出来なくなり、1972年11月のシングル「初めての涙」を最後に5枚のシングルと2枚のアルバムを残してPYGは自然消滅していった。それにより、沢田研二と萩原健一以外のメンバーは「井上堯之バンド」へと移行していった。

__成 : 1971年2月 (結成時グループ名 : 同じ)
デビュー : 1971年4月 (デビュー曲 : 花・太陽・雨)
__散 : 1973年0 (最終公演 : 不明)※井上堯之バンドに移行

P Y G : メンバー

沢田研二 ヴォーカル _(元ザ・タイガース
萩原健一 ヴォーカル _(元ザ・テンプターズ)
岸部修三 : ベース___.(元ザ・タイガース)
井上堯之 : リードギター (元ザ・スパイダース)
大野克夫 : キーボード _(元ザ・スパイダース)
大口広司 ドラムス __(元ザ・テンプターズ) '71年9月脱退
原田裕臣 ドラムス __(元M.C. & サムライ) '71年9月加入

.

シングル・リリース

花・太陽・雨/やすらぎを求めて(1971年4月)
自由に歩いて愛して/淋しさをわかりかけた時(1971年7月)
もどらない日々/もどらない日々(1971年11月)※萩原健一 + PYG 名義
遠いふるさとへ/おもいでの恋(1972年8月
初めての涙/お前と俺(1972年11月
 ※以上、4枚リリース

アルバム・リリース

PYG! オリジナル・ファースト・アルバム(1971年8月)
FREE WITH PYG (1971年11月)※ライヴ盤:田園コロシアム(1971年8月16日開催)
 ※ほか、ベストアルバム2枚リリース

LinkIconアルバム・リリース全曲収録リストはこちらをクリック

.

PYG → 井上堯之バンド(1973年〜1980年1月)

メンバー
井上堯之 : リードギター
岸部修三 : ベースギター(1975年6月脱退、俳優業へ)
大野克夫 : キーボード
原田裕臣 : ドラムス(1974年6月脱退)
※途中参加メンバー
速水清司 : サイドギター(1974年1月加入)
田中清司 : ドラムス(1974年6月加入)
佐々木隆典 : ベースギター(1975年7月加入)
鈴木二朗 : ドラムス(1975年9月加入)
羽岡利幸 : ヴォーカル(1976年10月加入)
主なサウンドトラック盤リリース
シングル「太陽にほえろ!」(1974年5月25日)
シングル「傷だらけの天使」、アルバム「太陽にほえろ! ベスト」、他多数
主な活動
沢田研二、萩原健一などのバックバンド
日本テレビ「太陽にほえろ!」サウンドトラック、等々多数

.
inouetakayuki_band.jpg

プロフィール

沢田研二 (本名 : 澤田研二) 1948年6月25日/鳥取県生まれ (京都市育ち)
sawada.jpgGS時代、トップアイドルとして君臨した元 "ザ・タイガース" のジュリー。1971年11月にはPYGとして活動する傍らソロ歌手としてシングル「君をのせて」をリリースした。1973年4月リリースした「危険なふたり」が大ヒットし「第4回日本歌謡大賞」を受賞。1975年7月、元ザ・ピーナッツの”伊藤エミ”と結婚。ソロ歌手として「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」(第19回日本レコード大賞・受賞曲)「憎みきれないろくでなし」などの数々のヒット曲を飛ばし人気を博した。1987年に伊藤エミと離婚したが、1989年11月には女優の田中裕子と再婚する。2009年からは、ザ・ワイルド・ワンズと『Julie With The Wild Ones』の新ユニットを結成。
2011年9月からのライブ「沢田研二 LIVE 2011〜2012」ではゲストとして瞳みのる・森本太郎・岸部修三を迎え入れ、事実上のザ・タイガースを復活させた。

萩原健一 (本名 : 萩原敬三) 1950年7月26日/埼玉・与野市生まれ
hagiwara.jpg"ザ・タイガース" のジュリーと人気を二分し人気を博した元 "ザ・テンプターズ" のショーケン。沢田研二と同様にPYGとして活動する傍ら、ソロ歌手としても活動。1972年7月にはシングル「ブルージンの子守唄」をリリースした。また、映画監督を志し1972年製作の松竹映画『約束』に助監督として参加するも、急遽代役として演技した。これを機に本格的に俳優業へと転身する。TVドラマ『太陽にほえろ!』ではマカロニ役で大ブレーク、『傷だらけの天使』『前略おふくろ様』と次々と名演技を披露し世間の知名度は増していった。
一時期、活動を休止していたが、2008年、自叙伝『ショーケン』を出版し復帰する。2009年、映画『TAJOMARU』(タジョウマル)の将軍(足利義政)役で日本映画批評家大賞、審査員特別男優賞を受賞。
2010年9月20日、中山秀征MCの日本テレビ「DON!」にゲスト出演。以前と比べ、ややふっくらとした面影だった。同年9月24日、横浜関内ホールを皮切りに、名古屋・大阪・東京と「萩原健一 トーク&ミニライブⅡ ANGEL or DEVIL あなたと一緒にいたい」を開催。

岸部おさみ (本名 : 岸部修三) 1947年1月9日/京都市生まれ
kisibe.jpg元 "ザ・タイガース" のリーダーでありベーシスト。 "PYG" 消滅後は "井上堯之バンド" に参加する。1975年には俳優業に転身し”岸部一徳”へと改名した。映画、TVドラマ等にて活躍し「日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞」など数々の賞を受賞。1988年には "タイガース・メモリアル・クラブ・バンド" に参加。現在も名脇役として、その存在感を発揮している。
2011年9月からのライブ『沢田研二 LIVE』にゲストとして瞳みのる・森本太郎と共に参加した。

井上孝之 (本名 : 井上堯之) 1941年3月15日/神戸市生まれ
inoue.jpg元 "ザ・スパイダース" のギタリスト。 "PYG" 消滅後は "井上堯之バンド" を結成しリーダーとして活躍したが1980年解散。その後、ギタリスト、作曲家として活躍。1998年には一旦活動を休止したが、2002年に復活。更に2009年1月、健康上の理由で芸能界を引退し小樽で静養。2010年7月に復帰し、現在もライブ等で活躍中。


大野克夫 (本名 : 同じ) 1939年9月12日/京都市生まれ
ohno.jpg元 "ザ・スパイダース" のキーボード奏者。 "PYG" 消滅後は "井上堯之バンド" に参加する。
同時に作曲も手掛け、1977年5月にリリースされた沢田研二の『勝手にしやがれ』を作曲し第19回日本レコード大賞を受賞した。沢田研二の他、多くの歌手にも楽曲を提供し、その才能を発揮した。"井上堯之バンド" が解散した1980年に "大野克夫バンド" を結成。
1988年には "タイガース・メモリアル・クラブ・バンド" に参加。
現在は作曲、編曲の他、プロデューサーとして幅広く活躍中。

大口広司 (本名 : 同じ) 1950年11月28日/埼玉・大宮市生まれ
ohguti.jpg元 "ザ・テンプターズ" のドラマー。1971年9月に "PYG" を脱退し、内田裕也のツアーに参加した。1972年には元GS "ザ・リード" のアラン・メリルと "ウォッカコリンズ" を結成しバンド活動を続ける。その後『時間ですよ』で俳優デビューする。1983年に女優 ”真行寺君枝”と結婚。2004年、ドラマ『向田邦子の恋文』の準主役に抜擢され、俳優としてその地位を確保していった。翌年の2005年には真行寺君枝と離婚し、長年の友と再婚する。闘病生活の中、2008年12月に趣味で描いた絵画の展覧会を開催した。
2009年1月25日、肝臓がんにより永眠。(享年58)

原田裕臣 1944年2月14日/神奈川・川崎市生まれ
harada.jpg元GS "ミッキーカーチス&サムライ"のドラマー。1971年9月、大口広司が離脱した為にドラマーとして参加。"PYG" 消滅後は "井上堯之バンド" に参加。その後、"タケカワユキヒデとミッキー吉野グループ"(ゴダイゴの前身)に参加する傍ら、沢田研二のバッキングなどを務めた。またフォーク・グループ "ガロ" にドラマーとしても協力参加している。
80年代後半には、沢田研二のバックバンド "CO-CóLO"(ココロ)に参加。