since October 2009


陽水TOP03.jpg陽水2_2.jpg陽水TOP01.jpg

1969年、RKB毎日放送のラジオ番組「スマッシュ!!11」に自ら作詞作曲した音楽「カンドレ・マンドレ」を録音、投稿した。この曲は採用され、同年9月、演奏を六文銭、編曲は小室等が担当し、万全の体勢で取り組みレコ-ドデビュー(当時の芸名”アンドレ・カンドレ”)を果たしたがヒットには繋がらず、その後も「花にさえ、鳥にさえ」をリリースするが不振が続いた。
1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改めて、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。
1973年3月リリースの「夢の中へ」が初のヒット。同年12月リリースのアルバム「氷の世界」が日本初のミリオンセラーとなり大ブレークし、井上陽水はフォーク界の頂点に君臨していった。
1975年、井上陽水は、吉田拓郎・泉谷しげる・小室等と共に、フォーライフ・レコードを発起し、現在もシンガーとして活躍中。
また、シンガーソングライターとして活動する傍ら、数々の楽曲を提供している。自身のバックバンドを務めていた "安全地帯" や "中森明菜" などに提供する他、"PUFFY" のデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」は大ヒットを遂げた。また、沢田研二のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例が有名である。これほどまでの大御所ではあるが「NHK紅白歌合戦」には1度も出場経験がない。オファーはあるが本人が辞退しているという。「出場するのは恥ずかしいから」など、色々な説が飛び交わっているが、辞退の理由は定かではない。

~主なヒット曲~
人生が二度あれば(1972年3月)※デビュー曲
傘がない(1972年7月)
東へ西へ(1972年12月)
夢の中へ(1973年3月)
心もよう(1973年9月)
氷の世界(1973年12月)
闇夜の国から(1974年4月)
夕立(1974年9月)
青空、ひとりきり(1975年11月)
ジェラシー(1981年6月)
いっそセレナーデ(1984年10月)
.
LinkIconシングル・リリース全曲リストはこちら

.
心もよう.jpg

断絶(1972年5月)
陽水II センチメンタル(1972年12月)
氷の世界(1973年12月)日本初のミリオンセラー・アルバム ※オリコン最高位 1位
二色の独楽(1974年10月)※オリコン最高位 1位
招待状のないショー(1976年3月)※オリコン最高位 1位
"white"(1978年7月)
スニーカーダンサー(1979年9月)
EVERY NIGHT(1980年12月)
あやしい夜をまって(1981年11月)
LION & PELICAN(1982年12月)
バレリーナ(1983年12月)
Negative(1987年12月) ほか
.
LinkIconアルバム・リリース全リストはこちら

.
氷の世界.jpg

井上陽水 コンサートツアー 情報

フォークソング コンサート & ライブ情報